二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2021年7月13日(火)更新

メキシコ、銅の立役者・釜本邦茂
「史上最高のストライカー」回想

 日本サッカー史上最高のストライカーは誰か?今でも多くの人が釜本邦茂さんの名をあげます。1968年メキシコシティ五輪での活躍は世界を驚かせるのに十分でした。7ゴールで得点王に輝き、銅メダル獲得の立役者となりました。

「2人で行ってこい!」

 準決勝で優勝したハンガリーに0対5と大敗した日本は、試合後、負け方以上にショッキングな事実が発覚しました。エースストライカーの釜本さんが右足ふくらはぎを蹴られ、その部位を痛めてしまったのです。

 地元・メキシコとの3位決定戦は、その翌々日。釜本さんは重い足を引きずりながら運命の日を迎えました。

 釜本さんの回想。

「東京オリンピックの監督で、当時、FIFAの役員を務めていたデットマール・クラマーが、ハンガリー戦の前の晩、食事の席で“金メダルの色はエエ色している。だからオマエらは、それを目指していけ!”と言ったんです。しかし、結果的には0対5。すると次の日、3位決定戦の前にも檄を飛ばしにきたんです。“手ぶらで帰るか、銅メダルを持って帰るか。銅メダルもエエ色をしているぞ”と。それで僕らもその気になり“最後にひと踏ん張りするか”となったんです」

 アステカスタジアムに詰めかけた観客、実に10万人。その全てがメキシコのサポーターでした。日本はオリンピックの半年前にメキシコ国内でメキシコと戦い、0対4で敗れていました。今回もメキシコのホームであり、日本に勝ち目はないように思われました。

 しかし、日本は数少ないチャンスを確実にモノにします。まずは前半18分、FW杉山隆一さんのクロスを胸でトラップした釜本さん、左足を迷うことなく振り抜きました。1対0。

 続く39分には、またもや杉山さんからの横パスをペナルティーアーク付近で受けた釜本さん、今度は得意の右足で決めてみせたのです。これで2対0。

 釜本さんと杉山さんのホットラインは日本にとって最大にして唯一の得点パターンでした。釜本さんは振り返ります。

「当時の日本の攻撃は、基本的に“釜本と杉山の2人で行ってこい!”というもの。あとの選手は守るだけ。だから当時の映像を見ると、ゴール前に映っているのは僕と杉山さんの2人だけなんです。なにしろメキシコ大会であげた9得点のうち7点は僕が獲ったんですから……」

ハポンコール

 日本にとって最大のピンチは後半が始まってすぐでした。DF小城得達さんがハンドの反則を犯し、相手にPKを与えてしまったのです。

 両国の実力からして、1点返されれば、試合はどうなるかわかりません。スタジアムには、この日一番の大歓声が響き渡りました。

 日本のGKは冷静で鳴る横山謙三さんです。彼はメキシコのキッカーがGKの左側に蹴るクセがあることを知っていました。周到な準備が、日本を救ったのです。横山さんは迷わず左に飛び、PKの阻止に成功しました。

「横山さんがPKを止めたのが大きかった。あれを決められていたら、勝負の行方は全くわからなくなっていました」

 釜本さんは、そう語りました。

 クラマーさんは自伝とも言える『デットマール・クラマー 日本サッカー改革論』(中条一雄著、ベースボール・マガジン社)で、メキシコ戦をこう総括しています。

<前半の英雄は2点を決めたカマモト。後半の英雄はケンゾー・ヨコヤマである。これが決定的な瞬間だった。このPKが、もし入っていたら1点差。その先、どうなっていたかわからない>

 結局、試合は2対0で日本の勝利。試合の終盤にはスタジアムで「ハポン(日本)、ハポン」の大合唱まで起きたそうです。代表チームのだらしなさに業を煮やしたサポーターたちの、かたちを変えたブーイングでした。

 クラマーさんの回想です。

<日本選手はまるで学生選手みたいに動き回った。宮本輝(紀)、渡辺(正)と、いつも攻撃的な連中も下がって、みんな全力で守った。残り約30分間、メキシコにフリーパスを1本も通させなかった>(同前)

 攻撃は釜本さんと杉山さんの2人だけ。リードすれば全員で守る――。シンプルこの上ないサッカーが日本サッカー史上初の五輪メダルを引き寄せたのです。

二宮清純

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