創刊40周年を迎えるスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』のバックナンバーから、
球団ごとの名試合、名シーンを書き綴った記事を復刻。2020年シーズンはどんな名勝負がみられるのか。
1995年ヤクルト 日本一
[野村IDの最高機密を独占公開]
丸裸にされていたイチロー。
text by Yuta Ishida
実は、このシリーズ直前に、彼らの存在を知っていたTV局が、今年1年間のイチローのデータ集積を依頼、その存在を知ったヤクルトが、データの提供を申し入れたのである。
「趣味の延長がどのくらい役立てるのかわからなかったけど、プロの実戦でどのくらい生かせるのかはすごく興味があった。我々は、こういうデータはどうだろうか、と思いついて、それを集積、表示しているだけ。そういうデータをどう生かすかは各球団のノウハウだから、今回の日本シリーズで野村監督がこれをどう解析するのかとても楽しみだった」
このデータが、野村ID野球の貴重な資料となった。彼らの集めた今季のイチローのバッティングデータからは、ヒットを打ったコースや凡打したコース、ファウルしたコースや見逃したコースがわかる。これで得意なコースと苦手なコースは一目瞭然。さらにこのヒットゾーンはストレートを打ったのか、そのスピードは145㎞以上だったのか、130㎞程度なのか、変化球ならそれはカーブか、スライダーか、フォークか。どのコースを打ったら、打球はどの方向へ飛ぶのか――これらをすべてビジュアルな映像で表現している。ヤクルトはこれほどまでに、緻密で詳細なデータを入手していたのである。
この他にも、<アソボウズ>は、オリックスのブロックサインや球種のサインを、ほぼすべて解読していた。スコアリングシステムの入力データと、ビデオで撮影した映像をリンクさせ、読み取ったのである。これもパソコンだからこそ、短期間で可能だった。例えば第4戦の小林とオマリーの壮絶な14球の名勝負は、二塁走者の橋上がヘルメットと顔をさわって、オマリーに一球一球、ストレートかスライダーかのサインを送っていたし、送りバントやヒツトエンドランのサインもわかっていた。古田がウエストして走者を刺した同じ第4戦の4回表のケースなど典型的。もちろん、古田がそのデータをすべて咀嚼してグラウンドで活用でき、かつ捕手としての能力が高いからこそ実を結ぶのであるが、こういう側面もヤクルトの強さの一因だった。
ヤクルトはシリーズ直前の10月15日から合宿に入り、ミーティングを繰り返した。打者であれば、どのコースにヒットゾーンがあるのか、打てないコースはどこなのか。打球方向にはどういう傾向があるのか。投手ならば初球はどのコースに、どの球種で入ってくるのか。カウントを悪くしてしまったら、どの球種で、どこにストライクを取りにくるのか。このデータに、スコアラーが集めた情報を加えて、野村監督が分析したオリックス対策は、すべて見やすい表にして、ヤクルトのクラブハウスに貼られていた。投手ごとに大きな紙が一枚ずつ作られ、全カウントごとにどこのコースにどの球種が多いかが、カラフルな円グラフを使った配球表で、すぐわかるようになっている。第5戦で初登板した高橋功一などは、カウントが0―3の時は外角のストレート、1―3の時には内角のストレートで百パーセント、ストライクを取りにくるし、0―1あるいは1―1の時には、ほぼ7割は変化球で攻めてくるなど、配球パターンはすっかり解読されていた。初めて顔をあわせる投手でも、その攻め方は、すでに手に取るようにわかっていたのである。
さらに佐藤のヨシボールは、ボールだから手を出さない。星野にはクセがあって、ストレート系は先にグローブが立つが、変化球は両手が一緒に胸の前にくる。小川はストライクゾーンの見極めが甘く、速いウェストボールで三振が取れるなど、数え上げたらキリがないほどの情報をヤクルトは集めていた。
そして野村監督が、シリーズを左右するともっとも警戒していたイチローへの対策。ヤクルトのスコアラー陣は、<アソボウズ>のデータに、様々なルートから集めた情報を加味して、野村監督に報告を入れていた。
◆すべての球を、目的意識を持って投げる。すべてを勝負球だと思うこと。ボール球にも手を出してくるので、ストライクゾーンをやや広めに考えて投球する。
◆最も強いのはインローを中心に、中途半端な低め。緩い球は得意、ただし続け球は厳禁。
◆次のゾーンは、長打の危険。Aゾーンへの速い球。Bゾーンへの緩い変化球。Cゾーンはすべての球種が危険。
◆有効な攻め方は内角高めのストレート。外角高めの速い球。内角への速いスライダーは詰まり、インローに落ちる球は空振り。外角低め変化球は一、二塁間のゴロになる。
この分析を基に、野村監督は次の4つの球を使ったイチロー攻略ゾーンを割り出した。
①高めのボールゾーンの速い球
②外角低めいっぱいの変化球
③内角の速い変化球
④内角低めに落ちる球
ここには、インハイへの攻めはない。つまり、<インハイ>という、どの打者も嫌がる看板を掲げて、その先のイチローの弱点を突こうとしていた。その弱点をより露呈させるための心理的なプレッシャーを与えたのが、<インハイ攻め>というプロパガンダだった。