二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2024年7月30日(火)更新
角田夏実、五輪を制したともえ投げ
柔術をベースに“肉体のチェス”完成
パリ五輪での日本人金メダル第1号は柔道女子48キロ級の角田夏実選手でした。また、このメダルは日本の夏季五輪通算500個目の記念すべきものとなりました。
鉄板の必勝パターン
決勝の相手はモンゴルのバーサンフー・バブードルジ選手。角田選手が出場しなかった5月の世界選手権(アビダビ)を制し、パリ五輪でも虎視眈々と金メダルを狙っていました。
角田選手には鉄板の必勝パターンがあります。それはともえ投げからの腕ひしぎ十字固めです。1回戦も2回戦も、この必勝パターンで一本勝ちを収めました。
決勝でも試合開始早々、角田選手はともえ投げの態勢に入ります。手を替え品を替え、しつこく攻めるのが角田選手の真骨頂です。
残り1分4秒で角田選手はともえ投げで技ありを奪います。もう前に出るしかなくなったバブードルジ選手。組み手争いで、手が角田選手の顔に当たるなど焦りが見られました。角田選手は残り20秒でともえ投げから寝技に持ち込みます。一本は奪えなかったものの、五輪初出場ながら優勢勝ちで金メダルを獲得しました。
以前、角田選手にともえ投げのコツについて聞いたことがあります。角田選手は「ずっと使っている技なので、自分でもよくわからない」といって苦笑し、こう続けました。
「ただ、私は足の指が長いので、相手を蹴り上げる時に柔道着を足の指でつかめるという点では、向いている技なのかと思います。
それに簡単にかかる技ではないため、試合中に何度もトライします。おかげで投げ方のレパートリーも増え、その数の多さは誰にも負けないと思います」
52キロ級から転向した角田選手は身長161センチと、この階級にしては長身です。この階級で2000年シドニー、04年アテネと2連覇を果たした谷亮子さんは身長146センチ。谷さんのフットワークの軽さ、踏み込みの鋭さは、まるで軽量級のボクサーのようでした。
「軟体動物の不気味さ」
翻って角田選手には、谷さんのようなスピードはありません。本人よると柔道センスも、あまりないそうです。
それを補ってあまりあるのが、長いリーチと長い足です。相手を引きずり込み、長い両足で相手を持ち上げ、さらには長い足の指を巧みに使って、相手を空中でコントロールするのです。あとは投げるタイミングを待つだけです。
角田選手の、この独特のスタイルを52キロ級で対戦経験のある阿部詩選手は「まるでヘビや軟体動物みたいで不気味だった」と語っています。
相手としっかり組み、立ち技での投げが基本とされる日本柔道にあって、角田選手のスタイルは異端とまでは言いませんが、主流派でないことは確かです。
ところで関節技に興味を持ったのは、大学時代に取り組んだ柔術の影響がきっかけだと言います。
「柔道は投げれば一本勝ちですが、柔術は投げて終わりじゃない。そこから寝技でタップ(降参)を取らなければ勝ちになりません。柔術の練習のおかげで、投げてから寝技(関節技)に入る動きが自然と身に付いていったと思います」
関節技は、いわば“肉体のチェス”のようなものです。こう攻めれば、こう逃げる。相手が逃げた場合は、こう追い込む。そして、とどめは……。このように2手どころか3手、いや5手先くらいまで読んでいなければ、フィニッシュまで持っていけないのです。
その点を質すと、角田選手は「餌をまいていく感じですよね。柔術の練習は男性選手と行うことが多いのですが、力ではどうしてもかないません。その中でどうするかというと、やはり頭を使っていくしかないんです」と語っていました。
スピードや体力より、戦法や技の精度に重きを置く角田選手の柔道は、恐ろしく奥が深いように感じられます。加齢も、経験値の蓄積量が増すと考えれば、むしろ彼女に味方するのではないでしょうか。4年後のロサンゼルス大会でも金メダルが期待できる遅咲きの31歳です。
二宮清純