二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2024年8月6日(火)更新
早田ひな、神の試練を乗り越えて
渾身のフォアドライブで掴んだ銅
負けて流す涙もあれば、勝って流す涙もあります。卓球女子シングルス3位決定戦、第3シードの早田ひな選手は、第4シードの申裕斌選手(シン・ユビン=韓国)を4対2で下し、銅メダルを獲得しました。同種目での日本勢のメダル獲得は、2021年東京大会の伊藤美誠選手の銅メダルに続き、2大会連続でした。
「金メダルよりも価値がある」
「この状況で(メダルが獲れたのは)金メダルよりも価値がある」
早田選手の言葉に全ての思いが詰まっていました。
この状況――すなわちラケットを持つ左手首を痛めたのは、この試合の2日前の準々決勝でした。
ひとりで風呂に入れず、髪を洗ってもドライヤーを使えなかったというのですから“重傷”です。
痛み止めの注射を打ち、手首をテーピングで固定して何とか卓球台の前に立ったものの、「普通に行けば、今日は絶対負ける」と思ったのも無理はありません。
ケガをした直後は「神様にこんなタイミングで意地悪をされるなんて……」と気を落とした早田選手ですが、手首を返すバックハンドには支障が出ても、得意のフォアハンドのドライブだけは通常通り打つことができました。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
スポーツの世界には、そうした格言がありますが、神様は早田選手を試したかったのかもしれません。
3位決定戦では、フォアハンドドライブが冴え渡ります。第1ゲームを9-11で取られた後の第2ゲーム。8-7とリードした場面、フォア3連打でポイントを奪い、このゲームを13-11で取り、タイにします。第3ゲームをデュースの末に、取ったのも強烈なフォアでした。7-10の劣勢から5連続ポイントを決め、逆転で第3ゲームをモノにしました。
ケガをも糧に
ゲームカウント2対1の第4ゲームは、7-5の場面でフォアからのスマッシュ3連発でポイントを奪い、11-7で取りました。第5ゲームは10-12で競り負けたものの、第6ゲームで勝負を決めます。
10-7の場面、シン・ユビン選手がサービスの返球をネットに当てた瞬間、早田選手は座り込んで両手で顔を覆い、泣き崩れました。
テープをぐるぐる巻きにした痛々しい早田選手の左腕を見て、私の脳裏をよぎったのが1992年バルセロナ大会柔道男子71キロ級で悲願の金メダルを胸に飾った古賀稔彦さん(故人)です。
古賀さんは決勝の10日前、講堂学舎の後輩・吉田秀彦さんとの乱取り中に左ヒザを負傷してしまいます。本人によると「亜脱臼の状態でヒザのまわりのじん帯が伸び切ってしまい、歩くことすらできなかった」そうです。
しかし、この負傷により、「雑念が全く取り払われた」というのだから不思議です。「勝負だけに気持ちが集中できるようになった」古賀さんは、見事金メダルを獲得し、吉田さんと抱き合うのです。古賀さんの頬をつたった大粒の涙を、私は今も忘れることができません。
もしかすると、早田選手もケガをしたことで雑念が取り払われ、勝負に対する集中力が増したのかもしれません。一流、いや超一流の選手はケガをも糧にすることができるのです。
二宮清純