二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2024年8月8日(木)更新
松山英樹、威風堂々の銅メダル
3年前のリベンジ、4年後の夢
最終日、4位タイから出た松山英樹選手は、ボギーなしの6バーディーで65をマークし、通算17アンダーの267で銅メダルを獲得しました。五輪の男子ゴルフ史上、日本人選手が表彰台に上がったのは初めてのことです。
惜しまれる8番と18番
ホールアウトした松山選手は、プレーオフに備え、練習グリーンに向かいました。そこに銅メダル決定の祝報が届きました。
「金メダルのチャンスがあったので、残念と言えば残念だけど、銅メダルを獲るため東京では苦労したし、銅メダルもすごくうれしい」と松山選手。狙った色のメダルではなかったかもしれませんが、ひとつメダルを持って帰るのと、手ぶらで帰るのとでは、雲泥の差があります。そこがメジャー大会と五輪の最大の違いと言っていいかもしれません。
3年前の東京大会、男子ゴルフは最後のメダルをかけて7人が通算15アンダーで並び、プレーオフに突入しました。
2組目の松山選手は、2打目にピンを狙いましたが、無情にもボールはピンを外れ、グリーン左のラフにつかまりました。続くアプローチも寄せ切れず、パーパットを外し、メダルへの挑戦は終わりました。
よく「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない」と言います。2021年4月には、日本人を含むアジア人として初めてマスターズを制した松山選手ですが、東京での悔しさは、3年間、ずっとくすぶり続けていたようです。
松山選手自身も語っていたように、パリで金メダルを胸に飾る可能性は十分にありました。首位から3打差の4位タイで出た最終日、勝負どころのバックナインでも攻めのゴルフを貫き、10番と12番で2バーディーを加えました。
惜しむらくは、カップにボールが沈む音が聞こえてきてもおかしくなかった8番と18番のバーディーパット。あそこがメダルの色の分かれ目でした。
勝ったのは米国のスコッティ・シェフラー。首位から4打差の6位タイでスタートし、コースレコードタイの62を叩き出し、逆転で金メダルを手にしました。さすが世界ランキング1位の実力者です。
4大メジャーとの違い
ゴルフが初めて五輪に採用されたのは、パリが舞台となった1900年の第2回大会です。この大会は初めて女性に門戸が開かれた五輪としても知られています。22人の女子選手がゴルフとテニスに出場しました。
ところが第3回大会を最後に、ゴルフは長きに渡って五輪の舞台から姿を消します。ゴルフが五輪に戻ってきたのは2016年のリオデジャネイロ大会。実に112年ぶりの復活でした。
だが、この記念すべき大会を松山選手は辞退しました。当時、ブラジルではジカ熱が流行しており、感染回避のため、松山選手はブラジル行きを断念したのです。
もっともリオデジャネイロ大会を辞退したのは松山選手だけではありません。当時、世界ランキング1位のジェイソン・デイ選手(オーストラリア)、4位のローリー・マキロイ選手(北アイルランド※東京、パリはアイルランド代表として出場)、8位のアダム・スコット選手(オーストラリア)、9位のダニー・ウィレット選手(イングランド)も出場を取りやめました。スコット選手に至っては「多忙」が辞退の理由でした。
あくまでもゴルファーが目標にするのは4大メジャーです。112年ぶりの復活とはいっても、有力選手にとって、オリンピックチャンピオンの称号は、喉から手が出るほど欲しいタイトルではなかったかもしれません。
しかし、松山選手の「4大メジャーと五輪は全然違う」という言葉からもわかるように、リオデジャネイロ、東京、そしてパリでの戦いを通じて、五輪に対する新しい価値観が生まれつつあるように思われます。
ひとりのチャンピオンを決めるための戦いである4大メジャーと違い、3人の選手が表彰台に上がれる五輪ゴルフは、最終日の白熱を約束します。
28年ロサンゼルス大会のゴルフ会場はリビエラCC。今年2月、ここで松山選手はザ・ジェネシスインビテーショナルを制しています。得意とするコースで、悲願の金メダルへの期待が高まります。
二宮清純