二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2024年8月26日(月)更新
ボッチャのレジェンド廣瀬隆喜
「競技の奥深さ」に魅せられて
3年前の東京パラリンピックで、杉村英孝選手(BC2)が金メダル、ペアBC3(河本圭亮選手、高橋和樹選手、田中恵子選手)が銀メダル、団体BC1/BC2(藤井友里子選手、廣瀬隆喜選手、中村拓海選手、杉村選手)が銅メダルを獲ったことで、ボッチャはすっかり日本人にも知られるようになりました。障がい者も健常者も、あるいは老若男女誰もが楽しむことができるユニバーサル・スポーツとして、近年、ますます注目度が高くなっています。
ライバルは杉村英孝
社団法人日本ユニバーサルボッチャ連盟によると、ボッチャはヨーロッパで生まれた重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツで、1984年ニューヨーク大会からスタートしました。
こう書くと「アレッ?」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。84年のオリンピックはロサンゼルスで開催されました。“商業オリンピック”と呼ばれ、黒字化に成功したことで知られています。
実は夏季大会おいて、オリンピックとパラリンピックが同一都市で開催されるようになったのは88年のソウル大会からです。同一都市開催は、今回のパリで10回目となります。
ボッチャのルールは、それほど難しくありません。ジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに、赤・青6球ずつのカラーボールを投げたり、転がしたり、あるいは他のボールに当てたりして、いかに近付けるかを競います。障がいにより、ボールを投げられない選手は、勾配具(ランプス)を使い、自分の意思を介助者に伝えることができます。
パリでは男女個人BC1~4、ペアBC3~4、団体BC1/BC2の計11種目が実施されます。
今回紹介する廣瀬隆喜選手は個人BC2と団体BC1/BC2に出場予定です。パラリンピックは2008年北京大会を皮切りに、12年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会、21年東京大会と、ここまで4大会連続で出場しています。パリで5大会目です。
メダルも団体でリオデジャネイロ大会銀、東京大会銅と2つ獲得しています。東京大会で金メダルを胸に飾った杉村選手とは、長きにわたってライバル関係にあります。
個人で金メダルを
廣瀬選手がボッチャと出会ったのは高校3年の夏です。中学3年間は射撃のビームライフル、高校では陸上競技に打ち込んでいました。
戦略性が重視されるボッチャは、研究熱心な廣瀬選手の性格にマッチしたようです。初めて出場した2003年の日本選手権で3位に入賞すると、06年には初優勝を果たしました。これまで9度も頂点に立っています。
私が初めて廣瀬選手にインタビューしたのはリオデジャネイロパラリンピックを翌年に控えた15年9月のことです。
廣瀬選手にボッチャの魅力について問うと「競技の奥深さ」をあげました。
「ただボールを転がすだけなく、ボールを浮かして上からぶつけるロビングボールという手もある。ジャックボール付近にボールが固まっていると、転がしてもなかなか弾けず、(ボールを)近付けることができない。そこで下から行くと、ボールを2、3球要してしまうこともある。ならばと、ジャックボールを直接上から狙って位置をずらし、スペースが空いたところを狙うなど、工夫をしています」
強弱やコースだけでなく、高低も使い分ける――。その技術には年々、磨きがかかり、今では自他ともに認める世界屈指の「オールラウンダー」です。
先述したように団体で2つのメダルを手に入れている廣瀬選手ですが、まだ個人でのメダルがありません。パリでは表彰台の真ん中を狙っています。
二宮清純