二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2021年8月24日(火)更新

パワーアップでリオのリベンジ
瀬立モニカ、「故郷に錦を飾る」

 東京パラリンピックのカヌーは前回のカヤックに加え、ヴァーが新たに正式種目となりました。今回紹介する瀬立モニカ選手が出場するのは女子カヤックの(KL1クラス)です。

最初は「絶対無理」

 瀬立選手によると、KL1は「体幹の機能が失われているため、肩と腕の機能だけで漕ぐ」最も障がいの重いクラスです。200メートルの直線コースでタイムを競います。5年前のリオデジャネイロ大会では初出場ながら、8位入賞を果たしました。

 瀬立選手が障がいを負ったのは高校1年生の時でした。体育の授業中に事故は起きました。

「倒立して、そのまま下にグシャッと潰れてしまったんです。その瞬間、背中からバキバキと音が聞こえました。すぐに救急車で病院に運ばれたのですが、頭を打ったことで体幹機能障がいが残ってしまったんです」

 入院生活は4カ月に及びました。退院してからも引きこもる日々が続いたといいます。

 そんなある日のことです。地元のカヌー協会からメールが届きました。「カヌーにもう一度乗りませんか?」という誘いでした。

 実は瀬立選手、中学時代にカヌーを体験したことがあったのです。ただし、良い思い出はありませんでした。

「乗るのは難しいとは知っていました。すごく運動神経のいい人でも、競技艇に乗ったら5メートルも進めない。だから“絶対無理”と思っていました」

 しかし、主治医やカヌーのコーチの励ましが瀬立選手の背中を押しました。やり始めるとめきめき上達し、高校2年生で出場した2014年の日本選手権では見事に優勝を果たします。そして翌年、イタリアで行われた世界選手権に、初めて日本代表に選ばれました。

「このイタリアの世界選手権では上位6名までにリオ大会への出場権が与えられました。私は決勝に残ったものの9位。結局、リオ行きは翌年の5月にドイツで開かれた世界選手権に持ち越されました。残りの出場枠は4つで私は5位。1次選考と合わせ、全体の11番目でした。わずかに及ばず、“2020年大会に向けて頑張ろう”と気持ちを入れ替えました」

「暴れるつもりが…」

 思わぬ吉報が届いたのは帰国後です。コーチから「モニカ、リオ行きが決まったよ」と予期せぬ電話が入りました。

「どうしてですか?」

「中国の選手が失格となり、繰り上がりで10位になったらしいんだ」

 繰り上がり当選はいえ、当選は当選です。夢にまで見たパラリンピックへの出場が決まったのです。母のキヌ子さんと抱き合って喜びを分かち合ったことは言うまでもありません。

 この時、瀬立選手は「諦めないことの大事さ」を学んだといいます。

「もし最終選考で勝負を諦めていたら、11位にも入れず、パラリンピックには出場できなかったでしょう。最後まで諦めずに戦ったから、リオ行きがあったと思います」

 では初めてのパラリンピックはどうだったのでしょう。

「リオでは風の影響が大きかったですね。ウォーミングアップで漕いだ時は無風だったのに、レース直前、急に風が強くなったんです。それで動揺してしまった。リオでは“暴れてやろう”と思っていたのですが、艇の中で私の足が暴れてしまった(笑)。波に負けてバランスを崩したことが悔やまれます」

 あれから5年。瀬立選手の腕は、見違えるほどたくましくなりました。スタートダッシュの源であると同時に、波に負けないパワーをパドルに伝えることができるようになったのです。

 競技会場の「海の森水上競技場」は瀬立選手の生まれ育った東京都江東区にあります。金メダルを獲得し、故郷に錦を飾りたい23歳です。

二宮清純

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