二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2021年12月24日(金)更新

船木和喜、プレッシャーの先の風景
「フナキ~、フナキ~」託された襷

 原田さんの“大失速”もあり、第1ラウンドが終わった時点で、日本はオーストリア、ドイツ、ノルウェーに次ぐ4位。悲願の団体戦、金メダルどころか表彰台さえも危うくなっていました。

「できるだけ遠くへ」

 第2ラウンドは横殴りの雪の中で始まりました。8人目、スロベニアの選手が飛び終わった時点で視界不良となり、25分間の中断を余儀なくされました。このまま競技の続行が不可能と判断されれば、第1ラウンドの結果だけで順位が決定されます。すなわち日本はメダル無しに終わってしまうのです。

 しかし、日本にはまだ運が残っていました。白馬の女神が機嫌を取り直したのか、ジャンパーたちを悩ませていた風がおさまったのです。

 先頭の岡部さんが137メートルの大ジャンプを披露し、トップの座を奪い返すと、2番手の斉藤さんも124メートルを飛び、3番手の原田さんにつなげました。

 この時、原田さんは「無我夢中」だったと言います。「できるだけ遠くへ、できるだけ……」

 テイクオフのタイミングはドンピシャリ。スキー板の角度は理想とされる45度。揚力を得た原田さん、まるで虹を描くようなスーパージャンプを披露しました。

 バッケンレコードタイの137メートル。現場にいた私の目には「着地」というより「着陸」に映りました。

 このスーパージャンプにより、日本は2位ドイツに24.5ポイントをつけました。しかし、4年前のリレハンメルがそうだったように、ジャンプは不確実性のスポーツです。勝負は下駄を履くまでわかりません。ここで、またしても原田さんの“名言”が飛び出します。

「フナキ~、フナキ~、頼むぞォ」

 アンカーの船木和喜さんへのエールのように聞こえました。

「目に見えない重圧」

 後日、「フナキ~」の意味について訊ねました。

「例の“フナキ~”ですか。あれはね、(報道の)皆さんが、私の感想を聞きたくて寄ってきたんです。ちょうど船木が飛ぶ直前だった。私にすれば“間もなく船木が飛びますよ。金メダルの瞬間を皆で見ましょうよ”というつもりが“フナキ~”になっちゃった。

 (声に力がなかったのは)極度の興奮状態から解放されて、ホッとしていたんです。腰が抜けたといますか、立っていられなかった。やっとチームに貢献できた、という思いでいっぱいでした」

 船木さんは3日前のラージヒル個人で金メダルを獲得していました。安定感は日本随一です。

 いつもながらの低い姿勢、風を切り裂く高速ジャンプ。伸びる、伸びる――。K点越えの125メートル。電光掲示板の一番上に金メダルを意味する「JAPAN」の5文字を確認すると、船木さんはブレーキングゾーンでガッツポーズをつくり、そのままばったりと背中から倒れ込みました。

 ドラマをつくったのが原田さんなら、歴史をつくったのは船木さんでした。

 悲願達成直後、船木さんはこう語りました。

「リレハンメルでの原田さんの重圧が、やっとわかりました。原田さんは、この重圧の中で飛んだのかって……。目に見えない重圧……これは言葉にできません」

 船木さんの傍で、原田さんは頭に積もる雪を払おうともせず、ただただ泣き崩れていました。嗚咽まじりの声をマイクが拾い上げました。

「4人で力を合わせて金メダルを獲ったの。4人で襷を渡し合ったんだよ。オレじゃないよ、オレじゃない。皆なんだよ、皆、皆、よく頑張ったよ。最高だよ」

 今にして思うと、リレハンメルから長野までの4年間は大河ドラマを見ているようでした。リレハンメルの失意が長野の歓喜を倍化させたのです。冬季五輪史上に残る不朽の名シーンです。

(後編・了)

>>前編はこちら

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