二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2022年1月11日(火)更新
浅田真央、世界を魅了した4分間
ソチ五輪、メダル超えた6位入賞
昨年の東京五輪で、ある意味、メダリスト以上に脚光を浴びた選手がいました。新競技スケードボードのパークに出場した15歳の岡本碧優選手です。逆転を狙って空中でボードを1回転させる大技に挑みましたが、着地に失敗。惜しくもメダル獲得はなりませんでしたが、演技終了後には、その勇気を称える多くのスケーターたちに抱擁され、笑顔で会場を後にしました。オリンピック史に残る名シーンのひとつと言っていいでしょう。
金のプレッシャー
同じようにメダル獲得こそならなかったものの、メダル以上の輝きを氷上で披露してくれた選手がいます。2014年ソチ冬季五輪フィギュアスケート女子シングルに出場した浅田真央選手です。
金メダルへのプレッシャーを背負い過ぎていたのでしょうか。ショートプログラム(SP)で、浅田選手は、まさかの16位と出遅れてしまいます。
得意のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を含む全てのジャンプに失敗するなど、普段の浅田選手では考えられないような状態でした。
いったい浅田選手の身に何が起きていたのでしょう。ここは専門家に聞くしかありません。02年ソルトレイクシティ冬季五輪フィギュアスケート男子シングル4位入賞の本田武史さんは「跳ぶ時に迷いが生じたのではないか」と語っていました。
「練習の時から、ジャンプの成功率が低く、やや自信を失っていたように映りました。ジャンプのテクニック自体は決しておかしくなっていたわけではない。ささいなことだが、“何かが違う”と感じると、失敗のイメージが頭をよぎってしまうんです。フィギュアスケーターはイメージに対して体を合わせていく。つまりイメージがブレてしまうと、体も動かなくなってしまうんです」
SP終了後、浅田選手は「このままでは日本に帰れない」と思ってしまったそうです。それほどまでに追い詰められていたということでしょう。
先の本田さんの言葉を借りれば、テクニック自体に問題があったわけではありません。心理面にバグが生じていたのです。これを修正するのは容易ではありません。
菩薩のような笑顔
SP終了後、浅田選手に予期せぬことが起こります。02年ソルトレイクシティ冬季五輪男子シングル金メダリストのアレクセイ・ヤグディンさん(ロシア)、98年長野冬季五輪女子シングル銀メダリストのミシェル・クワンさん(米国)らフィギュアスケート界のレジェンドたちが、続々とツイッターに励ましの言葉を投稿し始めたのです。傷心の浅田選手にすれば、背中を押される思いだったに違いありません。仲間たちから抱擁された岡本選手の姿が重なります。
付け加えるなら、姉・舞さんからの電話も大きな力になりました。これは後に浅田選手がテレビで明らかにしたエピソードですが、舞さんから「楽しんでやりなよ」と言われたというのです。「その軽さに私はブチッと」。すなわち切れてしまって「楽しめるわけないじゃん!」と言い返したというのです。人間、何が幸いするかわかりません。
身内に思いっ切り言い返したことで、逆に気持ちが楽になった浅田さん、翌日のフリースケーティングでは素晴らしい演技を披露します。
最初のトリプルアクセルに成功し、「行ける!」と確信を得てからは「自分の中で最高の演技」が続きます。ステップと手拍子が一体となった空間はまさしく「マオワールド」。神が降りてくる、とはああいうことを言うのでしょう。まばたきすら許さない4分間でした。
スコアは自己最高の142.71。16位から6位へと順位を上げ、入賞を果たしたのです。
演技終了後、浅田選手の目には光るものがありました。人に言えない、いろいろな思いが込み上げてきたのでしょう。そして笑顔も。
「たくさんの方から“笑顔が見たい”というメールが届いていたので、(最後の)お辞儀の時には笑顔になろうと思っていました」
全てをふっ切ったような氷上の笑顔、私の目には菩薩のように映りました。
二宮清純