二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2022年1月18日(火)更新
清水宏保、“小さな巨人”の理由
金メダルへのロケットスタート
日本は2018年平昌大会まで、冬季五輪で14個の金メダルを獲得しています。日本の“お家芸”であるスピードスケートの金第1号は98年長野大会の清水宏保選手です。
重圧で血尿
金メダル候補の重圧は、その立場になった者じゃないとわからないようです。
清水選手の尿に血が混じり始めたのは、長野大会開幕8カ月前のことでした。
「急に血尿が出始めたんです。原因はわかりませんが寝ている時に急に心拍数が上がり、それで目が覚めてしまうこともありました。確かに精神的にはきつかった。“失敗したらどうしよう”という意識が強過ぎるのか、レース中に転倒してしまう悪夢をよく見ました。今となっては“貴重な経験だった”と言えますが、当時は本当に苦しかったですね」
スピードスケートの500メートルは長野大会から1回目と2回目の合計タイムで争われるようになりました。
実は500メートルには、もうひとり日本から堀井学選手が出場していました。清水選手とは北海道・白樺学園高の2年先輩で、清水選手が5位に終わった94年リレハンメル大会500メートルで銅メダルを獲得していました。
清水選手によると、「堀井さんとの“ダブルエース体制”がよかった」というのです。
「重圧を感じていたのは事実ですが、それでも堀井さんと分散できたことは、まだよかった……」
2月9日、エムウェーブ。“ロケットスタート”を売り物にしていた清水選手は、スターターが鳴らすピストルの空砲の「音」に全神経を集中していました。清水選手が超人的なのは、音は音でも「ピストルの音ではなく、スターターが引き金を引く音」に耳を澄ませていたという点です。
本当に、そんなことができるのでしょうか。
「僕は音に筋肉を反応させるトレーニングを積んできました。何か音が鳴れば、部分的に筋肉を動かすことができるんです。身体全体を反応させるのは無理ですけど……」
2人のカナダ人従えて
――具体的には?
「たとえば、大腿四頭筋だけをピクッと動かす。そうすることで、頭の中で“動かそう”と考えてから行動に移す際のタイムラグを少しずつ削っていったんです」
この超人的なトレーニングの甲斐あって、1回目のレースで清水選手は35秒76の五輪レコードをマークします。
金メダルへ王手をかけた清水選手のライバルは、1回目のレースで清水選手に次ぐ35秒78をマークしたケビン・オーバーランド選手(カナダ)と、36秒04と出遅れたものの、高いポテンシャルを誇る同じカナダ人のジェレミー・ウォザースプーン選手。
10日、2回目のレース。スタートダッシュに成功した清水選手は、飛び出しの100メートルをトップの9秒54で駆け抜けます。コーナリングもうまくいき、自らの五輪レコードを塗り替える35秒59でゴール。2日間の合計タイムを1分11秒35とし、2人のカナダ人に付け入るスキを与えませんでした。
圧巻だったのは表彰式です。銀メダリストのウォザースプーン選手が身長190センチ、銅メダリストのオーバーランド選手が184センチ、その間にはさまれた161センチの清水選手は、まるで子供のようでした。
現地で2日間にわたってレースを取材した私は、不思議な思いにとらわれました。もちろん清水選手の身長も、2人のカナダ人の身長も知っていましたが、レース中の清水選手の姿が途轍もなく大きく見えたのです。表彰台での子供のような姿とのギャップに、改めて驚いてしまったのです。
後日、その話を清水選手にすると、「大きく映るということは、身体の隅々までうまく使いこなせていたということでしょう」と理論的に説明してくれました。清水選手が“小さな巨人”と呼ばれた所以です。完全無欠の2日間でした。
二宮清純