二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2022年2月8日(火)更新

金第1号はジャンプ・小林陵侑
「体幹増せば無敵」と葛西師匠

 2022年北京冬季五輪、日本の金メダル第1号はノルディックスキー・ジャンプ男子個人ノーマルヒルの小林陵侑選手でした。ジャンプ個人戦での金メダル獲得は98年長野大会でラージヒルを制した船木和喜さん以来24年ぶりです。

張家口の女神

 冷静なインタビューの受け答えに、小林選手の人柄が表れていました。悲願の金メダル獲得を決めた直後だというのに「2本ともすごくいいジャンプを揃えられた」「(兄・潤志郎とは)悔しい思いもうれしい思いもしてきたのでうれしいです」と淡々と話しました。

 ジャンプという競技には実力に加え、多少の運も必要です。今回、日本選手団の総監督を務める原田雅彦さんを例に取りましょう。

 金メダルが期待された長野五輪での個人ノーマルヒル、1本目に最長不倒の91.5メートルをマークし、金メダルを胸元にぐいと引き寄せました。ところが2本目、急に白馬の風が暴れ始めたのです。突然の横風が最悪の追い風に変わり、シグナル黄で41秒、青で13秒も待たされてしまったのです。運に見放された原田さんは84.5メートルしか飛べず、メダルには届きませんでした。

 勝負事に“たら・れば”は禁句ですが、黄のまま45秒を過ぎれば仕切り直しができていただけに、今考えても残念でなりません。「まぁ、それが運命というものでしょう」。気紛れな風を恨むでもなく、時には笑みさえ浮かべて語る原田さんの振る舞いにジャンパーの矜持を見る思いがしました。

 一般にジャンプでは追い風よりも向かい風が有利と言われています。追い風では揚力を得られにくいからです。第1ラウンド、今季のワールドカップでランキング上位にあたる最後の10選手の出番が近付くと、張家口の風は向かい風から追い風に変わりました。これにより、小林選手のライバルと目された海外の強豪が次々に失速していきました。

 ところが49番目、小林選手の時だけ、少し追い風が弱まったのです。張家口の女神が味方したとしか思えません。

“鳥人伝説”の始まり

 小林選手のパフォーマンスは見事でした。力みのないフォームは風にあおられても最後まで崩れず、着地の手前で、また一伸びします。この一伸びがメダルの色を分けるのです。ヒルサイズに迫る104.5メートル。テレマークも余裕で決め、一気にトップに立ちました。

 実は本番前の試技を小林選手はキャンセルしていました。踏み切りから飛び出しまでの感覚を掴むためには予行演習をしておいた方がいいのでしょうが、小林選手はキャンセルの理由を「疲れるから、いいかなと……」と語りました。

 実はこれこそ、小林選手が言う「ノリさん流」。師匠である葛西紀明選手がやっていたことなのです。

 とはいうものの、大舞台で何の躊躇もなく一発勝負を選択できる小林選手のメンタルの強さは、やはり特筆ものです。前日までの予選で、スタートから着地までのイメージを獲得できていたのでしょう。それを敢えて壊したくなかったのかもしれません。

 金メダルをかけた2本目。失敗さえしなければ、金メダルが手に入るというシチュエーションでしたが、これが思いのほか、難しいのです。人間、欲をかくとろくなことがありません。

 しかし小林選手は、どこまでも冷静でした。持ち前のバランスのいいジャンプで99.5メートルを飛び、計275.0点で金メダルを手繰り寄せました。

 他の競技に比べ、競技人生の長いジャンプ選手にとって小林選手の25歳という年齢は、まだまだ成長途上です。葛西選手が初めて個人のメダル(銀)を胸に飾ったのは14年ソチ大会、41歳の時でした。その葛西選手、“弟子”の今後について聞かれると「体感の力が増せば、この先、彼に勝てる選手はいなくなるだろう」と語りました。私たちは“鳥人伝説”の始まりを見ているのかもしれません。

二宮清純

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