二宮清純
スポーツジャーナリスト二宮清純コラム毎月第4木曜更新
2020年10月22日(木)更新

甲子園ノーヒッター名電・工藤公康
運命を変えた「ドラフト6位」の謎

 福岡ソフトバンクの監督として、今季、3度目のリーグ優勝、5度目の日本一に挑む工藤公康さんが名古屋電気高(愛知・現愛工大名電)のエースとして初めて甲子園にやってきたのは1981年夏のことです。

「カーブは独学で」

 名電は準決勝で金村義明さんを擁する報徳学園(兵庫)に3対1で敗れましたが、工藤さんが4試合で奪った三振は56。奪三振率12.923。伸びのあるストレートとブレーキのきいたカーブで三振の山を築き上げたサウスポーは、プロのスカウトにとって垂涎の的でした。

 工藤さんは名古屋市南区の生まれです。市バスの運転手だった父親が大の野球好きで、キャッチボールが日課でした。

 しかし、普通の父子と違っていたのは、和気あいあいとしたキャッチボールではなく、劇画「巨人の星」の星一徹と飛雄馬のような関係だったということです。工藤さんによると「楽しい思い出は一切なかった」そうです。

 かつて、こう語っていました。

「ボールが続くと、“もう、やめじゃ”と言って怒り出すんです。考えてもみてください。小学校に上がったばかりの子が、そんなに立て続けにストライクを投げられますか。

 こっちはワンバンを投げるたびに、もうヒヤヒヤですよ。家に帰ると、案の定、オヤジが怒り狂っている。その日の家庭は真っ暗でした」

 機嫌が悪くなると、ちゃぶ台をひっくり返してしまう一徹そのものです。

 地元の中学卒業後、工藤さんは名電に進みます。中京大中京、東邦、享栄とともに県内では“私学4強”を形成し、地元の有力選手たちが集まることで知られています。

 私たちが度肝を抜かれたのは、工藤さんにとって甲子園初戦となった長崎西戦です。なんと、いきなりノーヒットノーランを達成してしまったのです。与えた四球はわずかにひとつ。毎回となる16奪三振のおまけ付きでした。

 身長176センチながら、ピッチングはダイナミックそのものでした。伸びのあるストレート以上に驚かされたのが、まるでブレーキを踏んだかのようにキュッと曲がり落ちるカーブです。工藤さんに、「誰に教わったのか?」と聞くと「独学でマスターした」とのことでした。近年、あれほど切れのいいカーブを投げる高校生は見たことがありません。あれは、昔で言うドロップでした。

“球界の寝業師”登場

 甲子園で鮮烈な印象を残した工藤さん、卒業後は社会人野球の熊谷組に進む予定でした。進路に関してはすべて父親が実権を握っていました。

 ところが、ドラフト会議で西武が6位指名したものですから、球界はそれこそ蜂の巣をつついたような騒ぎとなりました。“密約説”もささやかれましたが、どうやら、そうではなかったようです。“球界の寝業師”の異名をとった西武球団の管理部長・根本陸夫さんの指示によるものでした。

 以下は工藤さんから聞いた話です。

「忘れもしませんよ。根本のオヤジに初めて会ったのは近くの『かに道楽』。ウチのオヤジが僕の横に座り、根本のオヤジが対面に座っている。2人ともにらみ合ったまま視線をそらそうともしない。一触即発とはあのことです。なにしろ一言も話さないんだから。せっかく目の前にカニがあるのに箸もつけられない。ヤクザの手打ち式じゃないのに……と思いましたけどね(笑)」

 もし“密約”が存在したのであれば、18歳がこうした修羅場に遭遇することはなかったでしょう。根本さんは、指名さえすれば、条件次第で何とかなるという思いがあったに違いありません。それが“人たらし”と呼ばれた所以でもありました。

 数日後、父親は工藤さんにこう告げたそうです。

「明日から根本さんを“東京のオヤジ”だと思え」

 その時の光景が目に浮かぶようです。

 甲子園での鮮烈デビュー、そして、運命を変えたドラフト会議。あの秋から39年が経ちます。西武時代、広岡達朗監督から「坊や」とかわいがられた“新人類”も、今では押しも押されもしない名監督です。

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