
その昔、高校野球には「名物監督」がたくさんいました。今回紹介する元柳川商(現柳川高・福岡)監督の福田精一さんも、そのひとりです。1973年夏の甲子園、歯に衣着せぬ発言で注目を浴びました。
「江川、江川と騒ぎなさんな。キャッチャーが(ボールを)捕れるじゃないか。バットでも捕えられないことはない。必ずヒット5本以上は打って、勝ってみせる」
江川とはもちろん、作新学院(栃木)の大エース、江川卓さんのことです。同年春の甲子園では準決勝で姿を消したものの、4試合で60という大会最多奪三振記録をつくりました。この記録は、あれから52年たった今も破られていません。
夏の大会でも、江川さん擁する作新学院は、優勝候補の筆頭に挙げられていました。
1回戦の相手は、福田さんが指揮を執る柳川商。冒頭の発言は、組み合わせ抽選直後に飛び出したものです。
クジを引き当てたのはキャプテンの吉田幸彦さんです。申し訳なさそうな目を向ける吉田さんに、福田さんはこう声をかけました。
「でかした!! キャプテン」
福田さんには秘策がありました。それは、バントの構えから一度バットを引き、バスター気味にスイングする“プッシュ打法”と呼ばれるものでした。
これならミートする確率は高くなりますが、なかなか長打は望めません。よくいえば“小よく大を制す”打法ですが、こうでもしなければ江川さんから点は取れない、と福田さんは腹を決めたようです。
<抽選会が終わった夜、ミーティングを開いた。
「全員ッ、バスターで挑む。徳永ッ、お前だけは不器用だから自由に打て!!(徳永利美は180センチ、85キロの大型4番、後に江川とともに法大に進み4番を打った)守りの気持ちになったら絶対勝てない。挑戦する気でやれ」>(自著『球児にかけた夢』葦書房)
この前代未聞の打法が、徐々に効果を発揮していきます。4回表には連打で、ランナーを二、三塁に進めます。
そして迎えた6回表、柳川商は2死から古賀敏光選手が三塁強襲ヒットで出塁すると、3番・松藤洋選手が右中間を破り、先制したのです。
これにより関東大会から続いていた江川さんの無失点記録は145イニングでストップしました。
どうすれば江川さんを攻略できるか。福田さんは練習相手として、とんでもない大物に声をかけていました。
柳川商の2年生エース、松尾勝則さんからこんな話を聞きました。
「試合の3、4日前、江川さんのスピードに慣れるため、先輩のつてを頼って松下電器の山口高志さんに投げてもらった。山口さんのボールも速かったけど、江川さんのボールの方がより速かった記憶がある。ボールが点ではなく、線として見えましたから……」
山口さんは75年に阪急に入団し、新人王に輝きますが、プロよりも社会人時代の方が速かったというのが通説です。その山口さんが高校生の“スパーリング・パートナー”というのですが、なんとも贅沢な話です。
江川さんが“剛”なら松尾さんは“柔”です。サイドスローからストレートと変化球を巧みに投げ分け、作新学院打線を手玉に取ります。
試合は1対1のまま延長15回裏に突入します。作新学院2死一、二塁のチャンスで和田幸一選手の打球はセンター前へ。バックホームは微妙なタイミングでしたがキャッチャーミットからボールがこぼれ落ち、作新学院がサヨナラ勝ちを収めました。
江川さんは延長15回、219球を投げ完投勝ち。秘策を用いて大いに怪物を苦しめた柳川商ですが、その牙城を崩すことはできませんでした。
後年、福田さんにこの試合の感想を求めると、こう語りました。
「江川君に対しては、試合前にホラを吹いて申し訳なかった。最高のピッチャーだったと言いたいね」
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