プロ4年目の再出発です。さる6月21日、中日の根尾昂選手は、「外野手」から「投手」に登録を変更しました。ショートを本職としながら投手、外野手としてもプレーした大阪桐蔭高時代、甲子園で「投手・根尾」が最も輝きを放ったのは、2018年のセンバツでした。
根尾投手は、大阪桐蔭で4度甲子園に出場し、3度(17年春、18年春、18年夏)の優勝に貢献しました。投手としては、優勝した3大会で計7試合に登板、42回を投げ9失点という成績を残しています。以下は、打撃も含めた甲子園での全成績です。
◎大阪桐蔭・根尾昂の甲子園全成績(上段が投手、下段が打者)
<17年春>=優勝
2登板3回無失点 防御率0.00
19打数4安打4打点 打率.211
<17年夏>=3回戦
登板なし
12打数4安打3打点 打率.333
<18年春>=優勝
3登板26回3失点 防御率1.04
18打数9安打8打点 打率.500
<18年夏>=優勝
2登板13回6失点 防御率4.15
21打数9安打5打点 打率.429
<通算>
7登板42回9失点 防御率1.93
70打数26安打20打点 打率.371
甲子園初陣となった2年時のセンバツでは、エース徳山壮磨投手(現横浜DeNA)の後を受け、2度マウンドに上がりました。2回戦の静岡高戦で2イニングを無失点に抑えると、決勝の履正社高(大阪)戦では最終回を締め、胴上げ投手になりました。
投手として最も輝いたのが3年時のセンバツです。根尾投手は、エースの柿木蓮投手(現北海道日本ハム)に次ぐ2番手ながら、3回戦の明秀日立高(茨城)戦に先発し、1失点完投。延長12回までもつれ込んだ準決勝の三重戦では、5回から8イニングに及ぶロングリリーフを無失点でしのぎ、チームのサヨナラ勝ちを呼び込みました。
智弁和歌山高との決勝では、先発のマウンドを託されました。林滉汰選手(現広島)、黒川史陽選手(現東北楽天)ら強打者を擁する相手打線に2点を許したものの、140球で完投。2年連続で胴上げ投手となるとともに、打っても5割の高打率を残しました。
春夏連覇を飾った3年時の選手権でも2度、先発のマウンドに上がりましたが、完投はなく胴上げ投手も柿木投手に譲りました。ただ、この大会もバットでは存在感を発揮し、藤原恭大選手(現千葉ロッテ)らとともに、強力打線をけん引しました。
根尾投手は、その年のドラフトで中日、日本ハム、巨人、東京ヤクルトの4球団から1位指名を受け、19年に中日に入団しました。仮契約の席で、「ショート一本」の意思を伝えると、球団も“打てるショート”の先輩である宇野勝さん、森野将彦さんがつけていた背番号「7」を用意して応えました。
ルーキーイヤーの19年は、わずか2試合に出場したのみでしたが、フレッシュオールスターに出場しました。翌20年は9試合に出場し、8月11日の広島戦、17打席目にしてプロ初ヒットを記録しました。
そして21年、開幕戦に「8番・レフト」としてスタメンに名を連ねました。ショートでは守備に難があるものの、外野なら強肩を生かせる――。首脳陣はそう判断したようです。この年はプロ最多となる72試合に出場しました。
しかし、プロ3年間での通算打率は1割6分5厘、ホームランは1本。「ショートとしては守備が不安、外野手としてはパワー不足」。それが今年からベンチを預る立浪和義監督の下した結論でした。
とはいえ、150キロ台をコンスタントにマークする投手としての力量はダテではありません。コントロールもまずまずです。ならば「リリーフで試してみよう」となったわけですが、7月27日現在、11試合9回1/3を投げ、防御率は1.93、1ホールドを記録しています。高校以来のマウンド復帰を考えれば、上出来でしょう。まるで“水を得た魚”です。
中日OBで「生涯一投手コーチ」を自認する権藤博さんは、早くから根尾選手の“二刀流”を進言していました。「甲子園であれだけ活躍した男。スポットライトが当たる舞台さえ用意してやれば、必ずやりますよ」と。彼の投げっぷりの良さを見ていると、いずれは勝ちゲームでのセットアッパー、そしてクローザーへ――。そんな期待を抱かせてくれる甲子園の元ヒーローです。
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