2024年オフに和田毅投手(福岡ソフトバンクホークス)がユニホームを脱いだことで、いわゆる「松坂世代」の現役選手は、NPBにはひとりもいなくなりました。今後は、コーチや監督としての活躍に期待が高まります。
「松坂世代」を代表するバッターである村田修一さんは、現役引退後、読売ジャイアンツ、千葉ロッテマリーンズのコーチを経て、2025年シーズンから古巣の横浜DeNAベイスターズで一軍野手コーチを務めます。
東福岡高(福岡)のエースだった村田さんが、松坂大輔さん(横浜高・神奈川)と初めて投げ合ったのは1998年センバツの3回戦でした。
村田さんは「エースで3番」。バッティングにも自信があった村田さんは、“高校球界ナンバーワン”の呼び声高かった松坂さんとの対戦を楽しみにしていました。
「どれだけ凄いか、この目で確かめてやろうじゃないか」
しかし、結果は4打数ノーヒット。うち三振が二つ。本人は「手も足も出ませんでした」と苦笑を浮かべて、語っていました。
「松坂が投げるボールは九州では見たこともないようなボールでした。真っすぐ速かったけど、もっと凄かったのがスライダー。それこそ“ピシューッ”と音を立てて曲がるんです。ある打席で回転のいいボールがインコースに来た。真っすぐだと思ってよけると、なんと外角いっぱいに決まった。“何だコイツ、反則だろ”と思いましたよ」
この大会、もうひとりプロ注目のピッチャーがいました。沖縄水産の新垣渚さんです。後年、2人を比較して村田さんは、こう語っていました。
「速さだけなら新垣も速かったけど、松坂にはまとまりがあった。“あー、こういうピッチャーがプロに行くんだろうな。自分たちとはレベルが違うんだな”ということを教えられた気がしました」
この試合、先制したのは横浜です。6回裏1死からランナーをひとり置き、6番・松坂さんのタイムリーツーベースが飛び出しました。
7回裏にも1点を加えた横浜は、8回裏、4番に入った後藤武敏さんがレフトスタンドに叩き込み、3対0としました。
普通、高校野球での3点差は、決してセーフティーリードではありません。しかし、マウンドに立っているのは超高校級ピッチャーです。3点目が入った時点で“勝負あり!”という雰囲気が甲子園には漂っていました。
その後もスコアは動かず、試合は3対0で横浜。松坂さんは13三振を奪う力投で、2安打完封勝ちを収めました。
敗れはしたものの、強打の横浜に3点しか与えなかったわけですから、村田さんのピッチングも褒められてしかるべきです。
しかし、村田さんにとって、17歳での“松坂体験”は、満足よりもショックの方が大きかったようです。
「これはもう、努力しても抜けないだろうと……。(ピッチャーとしての)違いを、まざまざと思い知らされました。それ以来、松坂に対しては、“投げ勝ちたい”という意識よりも、“いつか打ってやろう”という思いの方が強くなりましたね」
4打数ノーヒットと、松坂さんに完璧に封じ込まれた村田さんですが、そのスイングの鋭さに注目した指導者がいました。卒業後に村田さんが進む、日大の鈴木博識(ひろし)監督です。
「最初の打席、彼は空振り三振に倒れたんですが、あの松坂のストレートに振り負けていなかった。空振りこそしたものの、タイミング的にはドンピシャ。勢い余ってヘルメットまで飛ばしていた。三振は三振でも、三振の仕方が高校生レベルではありませんでした」
鈴木監督は慧眼の持ち主でした。プロ通算1865安打、360本塁打、1123打点。打者として「松坂世代」で最も成功した選手は村田さんでした。
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