2006年夏の甲子園と言えば、決勝で延長15回引き分け、再試合の末に駒大苫小牧(南北海道)を破って初優勝を果たした早稲田実(西東京)のエース斎藤佑樹投手の雄姿が真っ先に思い浮かびますが、準々決勝での球史に残る乱打戦も忘れることができません。
8月17日、第2試合。帝京(東東京)対智弁和歌山の一戦は、7回裏が終わった時点で智弁和歌山の8対2。大勢は決したかのように思われました。
しかし、さすがは帝京です。8回表、5番・塩沢佑太選手に2ランが飛び出し、4点差に詰めて9回表を迎えます。
この回、帝京は2死一塁から、4番・中村晃選手、5番・塩沢選手、6番・雨森達也選手、7番・我妻壮太選手の4連打で7対8とし、なおも2死満塁。ここで打席に立ったのが1年生の8番・杉谷拳士選手でした。
期待に応えた杉谷選手はレフト前に2点タイムリーを放ち逆転。さらには途中出場の沼田隼選手がレフトスタンドに3ランを叩き込み、12対8とリードを4点にまで広げました。打者一巡、一挙8点の猛攻でした。
9回裏、帝京はセンターの勝見亮祐選手をマウンドに送りました。これが裏目に出ます。2番・上羽清継選手、3番・広井亮介選手を連続四球で歩かせ、4番・橋本良平選手に3ランを浴びてしまうのです。これで12対11。こうなれば、もう試合はどう転ぶかわかりません。
コントロールの定まらない勝見選手は続く5番・亀田健人選手にも四球を与え、ひとつもアウトを取れないままセンターに戻ります。無死一塁で、帝京・前田三夫監督は9回表に逆転タイムリーを放った杉谷選手をマウンドに上げます。ショートを守る杉谷選手は、高校に入って1度もマウンドに立ったことがありませんでした。
いったい杉谷選手、どんな心境だったのでしょう。
「ピンチの時点で“ショート、肩回せ!”と監督から言われていました。後で聞くと逆転タイムリーを打っていたこともあって“アイツは覇気がある”と監督に思われたみたいなんです。緊張よりも、“よっしゃ、甲子園のマウンドだ!”“NHKだ!全国放送だ!”という思いの方が強かったですね。1年生ということもあり、甲子園の恐ろしさなんてわかりませんでした」
バッターは6番・松隈利道選手。キャッチャーのサインをのぞくと「変化球」。ピッチャーをしたことがない1年生に「変化球」は、あまりにも酷です。
「ぴゅっとひねったら、右バッターの松隈選手のヒザにゴーンと当たっちゃった。その1球で交代です」
帝京・前田監督は6人目の投手として、3年間1回も公式戦に登板したことのない岡野裕也選手をマウンドに送ります。
「岡野さんは3年間、一生懸命投球練習をやり、3年生からの信頼が一番厚かった。“岡野で負けたら納得できる”という雰囲気がありました」と杉谷選手。前田監督は、そんな3年生たちの思いにかけたのかもしれません。
しかし、智弁和歌山に大きく傾いた流れは、もう止まりません。岡野選手はアウトをひとつとったものの、代打の青石裕斗選手に同点タイムリーを浴び、そこから四球を2つ続け、押し出しで決勝点を与えてしまったのです。最終スコアは智弁和歌山の13対12でした。
決勝のホームを踏んだのは、杉谷選手の死球により出塁した松隈選手でした。
サヨナラ負けの瞬間、ショートの杉谷選手はグラウンドに突っ伏し、しばらくの間立ち上がることができませんでした。その瞬間をとらえた写真は、当時、高校野球のファンの間で話題になりました。たった1球での負け投手は、甲子園では後にも先にも、この一例だけです。このオフ、ファイターズ一筋のユニホーム生活に別れを告げた杉谷選手のほろ苦い青春グラフティです。
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