野球漫画「男どアホウ甲子園」「ドカベン」「野球狂の詩」「あぶさん」などの人気作品で知られ、多くの野球少年に影響を与えた漫画家の水島新司さんが1月10日、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。82歳でした。
そこで今回は「ドカベン」の主人公・山田太郎を彷彿とさせる体型で人気を博した浪商(大阪)・香川伸行さんについて書いてみたいと思います。
香川さんが高校野球ファンに強烈なインパクトを与えたのは1979年のセンバツ初戦、対愛知高戦でした。8回、3年生の香川さんはアウトローへのボール気味の球を、あろうことか右膝をつきながらバックスクリーン左へ運んだのです。大げさでなく甲子園が震えた瞬間でした。痩身の牛島和彦さんとのバッテリーは、一世を風靡しました。
残念ながら香川さんは2014年9月26日、心筋梗塞のため52歳で亡くなりました。以下は生前、香川さんから聞いた話です。
「浪商に入ったのは、名門校なのに18年間も甲子園に出てなかったから。強いチームに入って影が薄くなってしまうよりは、弱いチームに入って目立っていた方が楽しいでしょう。それで浪商を選んだんですワ。
当時、大阪はPL学園が強かったんですが、当時の監督の鶴岡一人さんに“太っているヤツはいらん”と言われた。しかし、大阪大会の決勝で当たったときに挨拶すると、“やっぱりオマエをとっときゃよかった”って言われましたけどね。エッヘッヘッ。
高校時代は、野球一筋の真面目人間。よく、“陰では遊んどったでしょう?”と言われるんですが、ホンマ、全然そんなことなかった。もう、野球漬けの毎日ですワ」
高校卒業後の1980年、香川さんはドラフト2位で南海に入団します。プロ10年間でのキャリアハイは1983年のシーズンでした。105試合に出場し、打率3割1分3厘、15本塁打、61打点。キャッチャーとして自身初のベストナインにも選ばれました。
「曲がりなりにも首位打者争いをして、シーズン前半中は、“イケるぞ”と言われたこともありますからね。この年はツキもあって、どこ打ってもヒットになるような気がしてましたワ。結局、途中でケガをして、最終打率は3割1分3厘。ケガさえなかったら、もうちょっとやれてたかも分からんと、それは今でも思いますね」
結局、プロ野球生活は10年。“太く短く”のプロ野球人生でした。
「プロ野球を辞めたのは、ボールがコワなったからですワ。はっきり言ってしまえば、ボールに立ち向かって行くだけの勇気がなくなってしまったんです。といっても、野球やったことない人には理解してもらえへん。それまではグラウンドでガンガンやっとったわけやから、信じてもらえへんのです。
しかし、ボクの場合、ある瞬間を境にホンマにボールがコワなってしもた。それまで柔らかそうに見えていたボールが、ホンマの硬球に見え始めたんです。
で、もうこれはあかんな、と。このままの気持ちでやっとったら、ケガするかも分からん、と。それで自分から“辞めますワ”って球団に申し出たんです。
もちろん、他からもいろいろと誘いはあったんですよ。右の代打要員でどうや、とかね。でも、ボールがコワなったままヨソのチームのユニホームに袖を通してみたところで、迷惑かけるのがオチでしょう。野球ちゅうスポーツは、そんな甘いもんやないですから……」
水島さんと香川さん、今頃は黄泉の国でキャッチボールでもしているのではないでしょうか。合掌。
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