108年目にして大旗が白河の関を越えました。さる8月22日に行われた夏の甲子園決勝で、仙台育英高(宮城)が下関国際高(山口)を8対1で下して初優勝を遂げました。過去春夏通じて12度も決勝に進出しながら、全て敗退していた東北勢の呪縛が解かれた瞬間でした。
「宮城の皆さん、東北の皆さん、おめでとうございます。100年開かなかった扉が開いたので、多くの人の顔が浮かびました」。試合直後の優勝監督インタビューで、仙台育英の須江航監督は万感の思いを言葉に込めました。
夏の全国大会は1915年、春(センバツ)は24年にスタートしました。これまで東北勢は大旗に何度も手をかけながら、分厚い扉にはね返され続けてきました。以下は、春夏合わせた甲子園決勝での東北勢の戦績です。
◎東北勢の甲子園決勝成績
1915夏 秋田中(秋田)1-2京都二中(京都)
69夏 三沢(青森)0-0松山商(愛媛)
再試合 2-4
71夏 磐城(福島)1-0桐蔭学園(神奈川)
89夏 仙台育英(宮城)0-2帝京(東東京)
01春 仙台育英(宮城)6-7常総学院(茨城)
03夏 東北(宮城)2-4常総学院(茨城)
09春 花巻東(岩手)0-1清峰(長崎)
11夏 光星学院(青森)0-11日大三(西東京)
12春 光星学院(青森)3-7大阪桐蔭(大阪)
〃夏 光星学院(青森)0-3大阪桐蔭(大阪)
15夏 仙台育英(宮城)6-10東海大相模(神奈川)
18夏 金足農(秋田)2-13大阪桐蔭(大阪)
22夏 仙台育英(宮城)8-1下関国際(山口)
過去には松山商高対三沢高戦のように延長18回を戦い抜き、0対0で引き分け。翌日の再試合で力尽きたケースもありました。また1点差負けも4試合ありました。
東北勢があと一歩のところで大旗を逃し続ける中、04年夏には南北海道の駒大苫小牧が初優勝。深紅の大旗が白河の関よりひと足早く、飛行機で津軽海峡を越えてしまいました。
仙台育英の初優勝が画期的だったのは“東北勢初”にとどまりません。プロ野球顔負けの継投を大舞台で披露したことです。ともあれ以下に、仙台育英の今大会全5試合のイニングスコアと登板したピッチャーを記します。
◇2回戦 8/11(木)
鳥取商(鳥取)
0=000|000|000
10=000|005|05☓
仙台育英(宮城)
髙橋(5回)-古川(2回)-仁田(1回)-斎藤蓉(0.2回)-湯田(0.1回)
◇3回戦 8/15(月)
明秀日立(茨城)
4=011|101|000
5=001|100|30☓
仙台育英(宮城)
湯田(1.1回)-古川(2.2回)-斎藤蓉(2回)-髙橋(3回)
◇準々決勝 8/18(木)
愛工大名電(愛知)
2=000|000|011
6=122|010|00☓
仙台育英(宮城)
斎藤蓉(5回)-古川(4回)
◇準決勝 8/20(土)
仙台育英(宮城)
18=0112|002|201
4=100|003|000
聖光学院(福島)
髙橋(2回)-湯田(4回)-仁田(3回)
◇決勝 8/22(月)
下関国際(山口)
1=000|001|000
8=000|120|50☓
仙台育英(宮城)
斎藤蓉(7回)-髙橋(2回)
私が驚いたのは、初戦の鳥取商高戦に勝利した直後の須江監督のコメントです。「今日はどんな展開になっても、全員出したいと思っていた」。その言葉通り、先発の髙橋煌稀投手を5回で交代させると、6回以降は古川翼投手、仁田陽翔投手、斎藤蓉投手、湯田統真投手とつなぎ、5投手で相手打線を0に封じました。右、左、左、左、右。「(打順が)一巡、二巡して打者が慣れる前に対戦できる」とは須江監督の持論ですが、それを重圧のかかる初戦でやってのけたのですから、大したものです。ちなみに5投手による完封は史上初の快挙でした。
続く3回戦の明秀日立高(茨城)戦、準々決勝の愛工大名電高戦(愛知)、準決勝の聖光学院高戦も継投で勝ち進んだ仙台育英は、決勝戦の先発に背番号10の斎藤蓉投手を送りました。準決勝での登板を回避させ、中3日でのマウンドでした。
3点の援護を受けた斎藤蓉投手は7回1失点の好投。後を継いだ髙橋投手も2回無失点で胴上げ投手になりました。全試合継投での優勝は17年花咲徳栄高(埼玉)以来6チーム目、大会のべ16人起用は07年佐賀北高の14人を上回り、優勝校としては史上最多でした。
こうしたプロ野球顔負けの継投に対し、「強豪の仙台育英だからできたこと」と冷めた見方をする向きもありますが、そう言ってしまっては元も子もありません。選手はチャンスを与えることで成長し、互いに刺激し合うことで、より高みに達することができるのです。
未だに強豪校の監督の中には“大エース信奉者”が少なくありませんが、昔と今では暑さのレベルが違います。しかも2年前からは「1週間500球以内」の球数制限が設けられました。その意味で須江監督の采配は高校野球にイノベーションを起こしたと言えるでしょう。「全員野球」が花開いた令和4年の夏でした。
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