巨人の投手チーフコーチ補佐に就任した桑田真澄さんは、“甲子園の申し子”のような人物です。PL学園(大阪)のエースとして、1983年の1年夏から85年の3年夏まで5大会連続で出場し、学制改革(1946年)以降では歴代1位の通算勝ち星(20勝3敗)をマークしています。エースとして5大会で優勝2回、準優勝2回。この記録は、今後破られないかもしれません。
桑田さんがスゴイのは、4月1日生まれだということです。6試合に登板して甲子園で初めて優勝した1年の夏は、まだ15歳と4カ月でした。
周知のように早生まれ(1月1日~4月1日)の子供は勉強、スポーツ両面で不利だと言われています。
まずは勉強から見ていきましょう。埼玉県内のある自治体の調査によれば、2017年に入学した高校での偏差値は次の通りです。トップは5月の54、以下8月、9月、7月、4月、6月と続きます。いわゆるこれがAクラスです。Bクラス、すなわち7位以下は11月、10月、2月、3月、1月、12月です。早生まれは全てBクラスです。最下位はなぜか12月でした。
続いてスポーツです。陸上競技の大会出場者を誕生月別に見ると、「全国小学生」の部では4~6月生まれが45.4%、以下、7~9月生まれの28.2%、10~12月生まれの19.1%、1~3月生まれの7.3%と続きます。
これが「インターハイ」になると、やや誕生月格差は小さくなりますが、それでも4~6月生まれが32.1%で依然としてトップ、以下7~9月生まれの27.2%、10~12月生まれの23.5%、1~3月生まれの17.2%と早生まれが不利であることに変わりはありません。
こうしたデータを踏まえると、4月1日生まれの桑田さんが強豪中の強豪であるPL学園で1年生からエースとなり、15歳4カ月で優勝を果たすというのは奇跡としか思えないのです。
当たり前と言えば当たり前ですが、桑田さんがあと1日遅く生まれていたら、1年遅れの入学となり、全国の高校野球ファンを沸かせた清原和博さんとの“KKコンビ”は誕生していなかったことになります。人生に“たら・れば”は禁句ですが、ドラフトを巡る2人の因縁のドラマも、また生まれていなかったのです。
話を桑田さんの早熟ぶりに戻しましょう。15歳4カ月での優勝投手は、どのようにして生まれたのでしょう。結論から言えば、2010年に他界した父・泰次さんのスパルタ教育の賜物だったように思われます。
以前、桑田さんからこんな昔話を聞いたことがあります。ちょうど彼が巨人のエースに名乗りを上げた頃でした。
「小学校2、3年生の頃かな。初めて父親にグラブを買ってもらった。僕はもう、うれしくて寝られないわけです。で、学校から一目散に帰ってグラブを手にすると、なんと綿が全部抜いてある。もう何ちゅう親かと思いましたよ」
----いい捕り方をしないと痛い。そのために綿を全部抜いてしまったと?
「そういうことです。しかもキャッチボールの時、パチーンと音を出さないと怒るんです。僕はキャッチボールのたびに泣いていました。父親も同じように綿のないグラブを使うんですが、小学校の頃は、とにかくオヤジが捕れないようなボールばかり投げてやろうと、そればかり考えていましたよ」
桑田さんは、さらに続けました。
「空き地で父親とキャッチボールするでしょう。父親が構えているミットにバチッと投げないとボールを捕ってくれないんです。こっちはヘトヘトになってボールを追いかける。で、またミットの位置にいかないと走って取りに行かされる。ホント、何回、ボールを(父親目がけて)投げつけてやろうと思ったか分かりませんよ」
私はその話を聞いて、劇画『巨人の星』のキャッチボールシーンを、すぐ脳裏に浮かべました。桑田さんが星飛雄馬なら、泰次さんは星一徹。今風にいえば“リアル巨人の星”です。星家にあって桑田家になかったもの、それは“大リーグボール養成ギブス”くらいだったかもしれません。
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