十年一昔(じゅうねんひとむかし)と言います。世の中は移り変わりが激しく、10年も経つともう昔のことになってしまう、という意味です。第5回WBC日本代表に選出された松井裕樹投手(桐光学園高―東北楽天イーグルス)が夏の甲子園の大会新記録である1試合(9回)22奪三振をマークしたのは2012年、2年生の夏でした。
桐光学園高(神奈川)の初戦の相手は愛媛県代表の今治西高。文武両道の甲子園常連校です。甲子園ではベスト4に過去5回(1963年夏、73年夏、77年夏、95年春、99年春)も進出しています。
以下は2013年時点の夏の都道府県別甲子園勝率5傑です。
1位・愛媛県 6割5分(115勝62敗1分)
2位・大阪府 6割4分9厘(155勝84敗)
3位・神奈川県 6割3分2厘(117勝68敗)
4位・和歌山県 6割1分8厘(118勝73敗1分)
5位・広島県 6割1分3厘3毛(111勝70敗1分)
愛媛県は1953年の第35回大会以来、60年も首位の座を守り通していました。
ところがその後、ついに2位・大阪府に逆転を許してしまうのです。首位奪還に最も貢献したのが、2008年以降、4度も頂点に立った大阪桐蔭でした。
いくら凋落気味の愛媛県勢とはいえ、2013年時点の勝率は、まだ全国トップです。それゆえ、松井投手には「相手は試合巧者。小技を使ってきたり、球数を多く投げさせようとするんじゃないか」との警戒心があったようです。
初回、松井投手は1番・池内将哉選手、2番・中西雄大選手を連続三振に切ってとります。最も警戒する3番の笠崎遥司選手には四球を与えましたが、4番・末広朋也選手を三振に仕留め、上々のスタートを切ります。
2回に入り、松井投手はさらにギアを上げます。5番・中内洸太選手、6番・東福拓朗選手、7番・曽我部祥太選手を連続三振。6つのアウトを全て三振で奪い、早くも奪三振記録更新の期待が高まってきました。
これまでの夏の奪三振記録は1試合19個。2000年に浦和学院高(埼玉)の坂元弥太郎投手、2005年に大阪桐蔭高の辻内崇伸投手らが記録していました。
3回にひとつ、4回に2つ三振を取り、ここまで9個。今治西は「低めのボールになるスライダーには手を出さない」作戦でしたが、ストライク、ボールの見極めができなかったようです。「サウスポーで、あれだけ切れのあるスライダーを投げるピッチャーは四国にはいなかった」と、ある選手は語っていました。
打っても松井投手の独壇場でした。5回裏、2死一、二塁の場面で中内洸太投手の初球、高めのストレートをライトスタンドに叩き込んだのです。値千金の3ラン。これで5対0。勝負は、あらかた決まったように見えました。後半戦の興味は、ノーヒットノーラン、そして奪三振の新記録なるか――。
6回、無死一塁から、松井投手は9番・檜垣孝明選手に、この日初めてヒットを打たれます。しかし、これで逆にプレッシャーが取り除かれたのかもしれません。6回1死から9回2死まで中西選手、笠崎選手、末広選手、中内選手、東福選手、越智樹選手、伊藤優作選手、檜垣選手、池内将哉選手、吉本選手を10者連続三振に仕留めるのです。これまでの連続三振記録は1926年に和歌山中・小川正太郎投手がマークした8。27個目のアウトも三振でした。
蛇足ですが、今治西は73年春、作新学院高(栃木)の江川卓投手から、準々決勝で20三振を喫しています。これは“怪物”の異名をほしいままにした江川投手が甲子園でマークした一試合あたりの最多奪三振数です。強豪ながらよくよく三振に縁のある学校と言えるかもしれません。
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