甲子園では、僅差が予想されながら、思わぬ大差がついてしまう試合が稀にあります。池田(徳島)が初優勝を果たした1982年夏の準々決勝、対早稲田実業(東京)戦がそうでした。
東の荒木大輔(早実)対西の畠山準(池田)----。高校球界を代表する両投手の対決ゆえ、試合前には僅差が予想されました。ところが終わってみると14対2、池田の圧勝でした。
試合は初回にいきなり動きます。1死一塁の場面で打席には2年生の3番・江上光治さんが入りました。4番の畠山さん、5番の水野雄仁さんとともに“やまびこ打線”のクリーンアップを担う江上さんですが、彼はインコースに弱点を抱えていました。
2ストライク、1ボール。ここで荒木さんが投げたカーブはインローへ。これを江上さんは一振りで仕留めたのです。ライトスタンドに飛び込む2ランホームランでした。
驚いたのは打たれた荒木さんです。「ショックでした。得意のカーブをいきなり打たれてしまった。これで投げるボールがなくなってしまったんです」
冒頭で「東の荒木、西の畠山」と書きましたが、1年夏の準優勝を含め甲子園に5回連続出場の荒木さんと、初めて甲子園にやってきた畠山さんとでは知名度に雲泥の差がありました。2年生の水野さんは「先輩である畠山さんを男にしたい」との思いがあったそうです。
5番を打つ水野さんからしても、江上さんのホームランは意外だったようです。「正直言って、あれはマグレ(笑)」と言い、こんなエピソードを紹介してくれました。
「あれはヒザ元に入ってくる難しいボールです。あれをホームランにしたものだから、アイツ、大学(早大)に進んでから苦労するんです。ほら、一度“すごいバッターだ”という称号をもらうと、打てなくなると何を言われるかわからないじゃないですか。基本的にアイツは衝突型のバッターなんです。当たったら飛ぶけど、ボールを引きつけて打つような器用さはない。だから大学に入って、木製バットになってからは、しばらく泣いてましたよ」
いきなりの2ラン。荒木さんにすれば、ハンマーで頭を殴られたような気分だったのではないでしょうか。2回にも3点を奪われ、劣勢を余儀なくされます。
荒木さんによると、池田に対し、対戦前は「そこまで豪打の印象はなかった」そうです。
「2回戦で同じ東京の日大二高に4対3。チームメイトは“池田はその程度の実力だ”と言ってましたよ。しかし、僕は対戦が決まった時から、嫌な予感がしていました。蔦文也監督には何をやってくるかわからないイメージがあったし、実際、目の前で池田の選手たちを見ると、体つきがものすごく大きいんです。少なからず圧倒された部分はありました」
江上さんが打てば水野さんも打ちます。2点を返され5対2となった6回裏、バックスクリーンに2ランを叩き込んだのです。さらに8回には代わった石井丈裕さんからダメ押しの満塁ホームラン。2年生2人の活躍で、文字通り“東の横綱”を粉砕してみせたのです。
荒木さんについて訊ねると、水野さんはこう語りました。
「正直言って、それほど速いとは感じませんでした。というのも、池田は練習で畠山さんや僕はブルペンではなく、シートバッティングで投げるように言われていたんです。毎日、池田の打者たちは145キロくらいのボールを打っていましたから、甲子園でどんなに速いボールを投げるピッチャーと当たっても、速さは誰も感じていなかったと思います。プロに注目されるようないいピッチャーに当たれば当たるほど、池田の打線にとってはいつも通りに打てばいいわけですから、打ちやすかったんです。逆に緩いカーブとか、軟投派のピッチャーと当たっていたら、負けていたでしょうね」
それにしても“やまびこ打線”とはいいネーミングです。校歌にある「阿讃の嶺」に響き渡った打球音は、地の利を生かしたサーキットトレーニングと近代的な筋力トレーングの賜物でした。耳をつんざく快音が甲子園を席巻した38年前の夏でした。
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