メジャーリーグのツインズに所属し、日米通算156勝(5月25日時点)をあげている前田健太投手はPL学園(大阪)時代、2度甲子園(2004夏、06春)の土を踏んでいます。プロ野球のスカウトに強烈な印象を残したのは、06年の春でした。
大阪府泉北郡忠岡町に生まれ、小学校3年で野球を始めた前田投手。中学時代は、硬球を使用するボーイズリーグでプレーしました。PL学園に進んだ理由は、憧れのOB桑田真澄さんの存在でした。以下は、かつて前田投手が私に語ってくれた話です。
「ピッチングだけではなくバッティングもいいし、フィールディングもそつなくこなす。走塁も巧いし、すべてが揃っている。ああなりたいという思いは子供の頃からありました」
桑田さん同様、1年の夏から甲子園のマウンドに上がった前田投手でしたが、初戦の日大三高(東京)相手に5回3失点。チームも5対8で敗れました。2年時には一度も甲子園に出場することができませんでした。
残るチャンスは2回です。甲子園で名を上げ、卒業と同時にプロ入りするのが前田投手が早い時期から立てていた目標でした。
<高校の3年間を通じて、2年の秋から3年の春の選抜大会までが一番練習した時期だったと思います。
「選抜でやらなきゃ忘れられるぞ」
そう自分に言い聞かせ、練習に取り組みました>(前田健太著『エースの覚悟』光文社)
そして迎えた3年春、2度目の甲子園。初戦の相手は21世紀枠で出場した栃木の真岡工高。ひと冬を越してたくましさを増した前田投手は毎回の16三振を奪って完投。9対1で初戦を飾ります。
続く2回戦では、愛知啓成のエース・水野貴義投手と息詰まる投手戦を展開。両校無得点で迎えた9回表、PL学園は4番・前田投手の四球を足掛かりに2死3塁とすると、7番・仲谷龍二選手のセンター前タイムリーで虎の子の1点を手に入れます。1対0。最少リードを守り切り、前田投手擁するPL学園はベスト8に進出しました。
準々決勝の相手は、ここまでの2試合で25安打を放っている強打の秋田商高。1回裏、前田投手は相手の攻撃を3人で片付けると、2回表に衝撃のプレーを披露します。先頭打者として、アンダースローの佐藤洋投手から放った打球は、ライト前へポトリ。一塁ベースを蹴った前田投手、相手の打球処理がもたつく間に、二塁を陥れました。さらに、続く5番・奥平聡一郎選手のバントで三塁に進みます。
その後、2死三塁となり、右打席には7番・仲谷選手。カウント1-1からの3球目でした。佐藤投手がいつものゆったりとした投球モーションに入ろうとした瞬間、三塁ランナーの前田投手がスルスルッとスタートを切ったのです。虚を突かれた佐藤投手は慌ててキャッチャーにボールを送りますが、猛然と本塁に滑り込んだ前田投手の左足は、タッチよりも一瞬早く本塁に到達していました。
「初球を見て“いける”と確信した」と前田投手。後日、PL学園の藤原弘介監督に舞台裏を訊ねると、「もちろんノーサインですよ。ホームスチールなんて教えられませんから」と苦笑を浮かべて語ってくれました。ゲームは4対1でPL学園。春夏通じて7年ぶりのベスト4進出でした。
この年のドラフトの目玉は、前年、北海道に初の深紅の大旗を持ち帰った、駒大苫小牧のエース田中将大投手でしたが、広島は1位で前田投手を一本釣りしました。ピッチャーとしての才能に加え、野球選手としてのセンスを買った、という話を後に聞きました。秋田商高戦でのホームスチールが決め手となったようです。
投げる、打つ、走る、守る。桑田さんの持論では、すべてが揃っているのがプロ野球選手です。守備能力、身体能力の高さが評価されるゴールデングラブ賞に桑田さんは8度、前田投手は5度輝いています。16年前のホームスチールこそはオールラウンダーの原点だったように思われます。
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