
勝つだけではなく選手も育てる。この2つの難題に挑み、結果を出してきたのが元PL学園監督の中村順司さんです。春優勝3回、夏優勝3回。監督として甲子園で記録した勝率8割5分3厘は、他の追随を許しません。プロ野球で成功した代表的な教え子には、桑田真澄さん、清原和博さん、立浪和義さん、宮本慎也さん、松井稼頭央さん、福留孝介さんらがいます。
プロで守備の名手に贈られるゴールデングラブ賞に10回(ショートで6回、サードで4回)選出された元東京ヤクルトスワローズの宮本さんは、「守備の基本はPL学園時代に身につけた」といいます。
以前、中村さんに「どこを重点的に指導したのですか?」と問うと、「右足の踏み込みです」という答えが返ってきました。
「捕球からスローイングに移るに際し、一番大切なのは右足の踏み込みです。これができていればグラブを持った左手をしっかり出せる。きちんと捕球できればスローイングにも移りやすい。もちろん打球を追いかける時はつまさきに体重がかかりますが、捕球の時は右足のカカトから入ってしっかり踏み込む。つまさきに体重がかかったままでは、きちんと投げられない。
踏み込み方は打球が右に飛ぶか、左に飛ぶか、前の打球か後ろの打球かで変わってきます。また踏み込みの角度もファーストへ投げるのか、セカンドや本塁へ放るのかで全然違う。それらひとつひとつを丁寧に教えたつもりです」
PL学園の野球部グラウンドは富田林市内にありましたが、練習の質の高さには舌を巻かされたものでした。
将来野球で身を立てるためには、土台となる基礎練習をしっかり教え込まなければならない――。自らに、そんなミッションを課した中村さんは「教育者」であると同時に、「勝負師」でもありました。
中村さんに「思い出に残る試合」について聞いたところ、自身が初めて甲子園を制した1981年春の準決勝の倉吉北(鳥取)戦、という答えが返ってきました。
1回戦で岡山理大付(岡山)に5対0、2回戦で東海大工(静岡)に1対0で勝利したPL学園は準々決勝で日立工(茨城)を8対2で下し、準決勝に進出します。相手は“山陰の暴れん坊”と呼ばれた倉吉北でした。ベンチ入り15人のうち13人が関西地区の出身者だったことから、地元ではヒールのような扱いを受けていました。
選手の中には坊主頭に剃り込みを入れたり、眉を剃っていたりする者もいて、高校野球関係者の中には眉をひそめる者もいました。
ただし野球は攻守ともにレベルが高く、3年生エースの坂本昇さんは、ボールの切れ、コントロールに加え、マウンド度胸もよく、高校生としては完成された感のあるピッチャーでした。
一方、PL学園のエースはサウスポーの西川佳明さん。法政大学を経て南海(ダイエー)に進み、プロ通算25勝をあげています。
試合は両エースの投手戦で進み、0対0で迎えた6回表です。2死無走者の場面で、中村さんはマウンドに伝令を送ります。ピンチでもないのに、なぜ、そんなことをしたのでしょうか。
中村さんの回想です。
「普通、そんな場面で伝令なんか出しませんから、みんな、“ピッチャーの具合でも悪いのか”と思ったようです。ここで私は西川に“絶対に三振を取ってこい!”と伝えました。というのも、相手の坂本君はエースで4番、しかもキャプテン。ここで三振を取ったら、相手が動揺するんじゃないかと考えたんです。
案の定です。三振を取ったら次のイニング、坂本君は悔しそうな表情を浮かべてマウンドに上がりました。それが影響したのか、先頭を塁に出し、こちらが1点を先制しました。結局、4対0で勝ちました」
中村さんの好采配で難敵を撃破したPL学園は決勝で印旛(千葉)に9回逆転サヨナラ勝ち(2対1)を収め、同校に紫紺の大旗をもたらせたのです。
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