
中日ドラゴンズ一筋29年、球団史上最多の219勝をあげた山本昌(本名・山本昌広)さんは、41歳でノーヒットノーランを達成するなど“中年の星”と呼ばれました。しかし、高校時代の実績は、必ずしも輝かしいものではありません。
山本さんは1965(昭和40)年8月11日生まれの60歳です。この年は当たり年と言っていいでしょう。
プロでは山本さん以外に以下の選手がタイトルを獲り、また表彰されています。
古田敦也さん、与田剛さん、森田幸一さん、小宮山悟さん、渡辺久信さん、武田一浩さん、星野伸之さん、吉井理人さん、佐々木誠さん。
山本さんは日大藤沢高(神奈川)の出身です。春3回(1990、98、07年)、夏1回(95年)の甲子園出場を誇る神奈川県屈指の強豪校ですが、山本さんの入学前には一度も、甲子園に出場したことがありません。
山本さんが入学した頃、神奈川県下で最も強かったのはÝ高の愛称で知られる市立横浜商業高校です。ここには三浦将明さんという本格派の右腕がいて、高2の春、高3の春夏と3度もチームを甲子園に導いています。
高3では春も夏も準優勝。春は水野雄仁さん擁する池田(徳島)、夏は1年生の桑田真澄さんと清原和博さんが2枚看板のPL学園(大阪)に、いずれも0対3で敗れました。
三浦さんの目に、高校時代の山本さんの姿はどう映っていたのでしょう。
「正直言ってピッチングについては、あまり印象に残っていないんです。高2の夏の県予選は準々決勝で投げ合った。ウチが3対2で勝ったんですが、アイツ、泣きじゃくっていた。覚えているのは“また来年もあるし、お互い頑張ろうな”と言って別れたことくらいかな」
スコアは2対3。山本さんも自著『133キロの快速球』(ベースボール・マガジン社)で<僕は号泣した。野球人生で「最も泣いた試合」だった>と述懐しています。
しかし、人生とはわからないものです。1983年のドラフトで中日から三浦さんが3位、山本さんが5位で指名されたのです。かくして高校時代のライバルは、奇しくも同じユニホームに袖を通すことになりました。
ドラフト5位といえば、決してエリートではありません。甲子園にも出ていないのですから妥当な評価といっていいでしょう。
しかし、ある時、山本さんから高校時代の防御率を聞いて、私は腰を抜かしそうになりました。3年間の通算防御率は0.67。強豪ひしめく神奈川にあってこの数字は驚異的です。
ドラフト前、山本さんは日大進学を表明していたため、スカウトたちは獲れないリスクを考慮し、上位での指名を回避したのかもしれません。
高校時代の監督は香椎瑞穂さん。母校の日大を東都リーグで12度も優勝に導いた名将です。ニューヨーク・ヤンキースの名将ケーシー・ステンゲルさんになぞらえて“東洋のステンゲル”と呼ばれていました。
中日から指名された際、香椎さんに呼び出された山本さんは「オマエならやっていける」と励まされます。その一言に背中を押されるかたちでプロ入りを決めたと語っていました。
プロに入り、切磋琢磨したライバルの印象を、三浦さんは、こう語りました。
「山本は付き合いがよく、同年代の仲間たちからも慕われていました。よく飲みにも出かけました。普通の青年でしたよ。しかし、ひとつだけ僕たちと違っていたことがあった。遅くなると、“オレ、ちょっと帰るわ”と言って先に帰るんです。遊んでいても一線を決めていて絶対にそれを踏み越えない。
で、翌日、僕たちが“飲み過ぎたな”と言ってダルそうにしていると、アイツだけが横でビンビン動いている。それを見て“コイツ、しっかりしているな”と思ったものです」
和して同ぜず。そこに219勝の秘密があったのかもしれません。
二宮清純データが取得できませんでした


以下よりダウンロードください。
ご視聴いただくには、「J:COMパーソナルID」または「J:COM ID」にてJ:COMオンデマンドアプリにログインしていただく必要がございます。
※よりかんたんに登録・ご利用いただける「J:COMパーソナルID」でのログインをおすすめしております。