
現在、プロ野球出身の高校野球の監督は少なくありません。今年のセンバツでは、帝京長岡(新潟)を初めて甲子園に導いた、元日本ハムファイターズの芝草宇宙さんが話題になりました。芝草さんは帝京(東京)の投手として2年春、3年の春夏と甲子園に3度出場し、3年時、すなわち1987年夏には、2回戦で東北(宮城)相手にノーヒット・ノーランを達成しています。
「ひろしは宇宙、大宇宙、コスモ」。パンチョ伊東(伊東一雄パ・リーグ広報部長=当時)さんの名調子が思い出されます。この年の秋、芝草さんはファイターズからドラフト6位指名を受け入団。14シーズンで430試合に登板し、46勝56敗、防御率4.24という成績を残しました。同期には、“SSコンビ”と呼ばれた常総学院(茨城)の島田直也さんがいます。島田さんは87年夏の準優勝投手です。甲子園のスターを2人、しかもドラフトの下位、そしてドラフト外で獲得した理由は、どこにあったのでしょう。当時のスカウト部門の責任者・三沢今朝治さんに話を聞きました。
――芝草さんはノーヒット・ノーランまで達成している。8四死球と荒れ気味だったにしても、バランスのいい投げ方をしており、もう少し上位で指名されると思っていました。
三沢 いや実は、ウチは3位までに指名する予定だったんです。ところが、3年夏の大会が終わってウチのスカウトが調査したところ、学校側から「巨人が3位以内で指名することになっているし、本人も巨人に入りたがっているから、他の球団は指名しないでくれ」と断りが入ったんです。ところが巨人は3位以内どころか4位でも5位でも指名しない。そこで部下に命じて、ドラフト会議中に芝草の父親に連絡を取らせた。「6位で指名してもいいですか?」と。そこで急遽、6位で指名することになったんです。
――約束が反故にされたことで本人もショックだったでしょうね。
三沢 そりゃショックだったでしょう。だから交渉するまでには時間がかかりましたよ。最後は前田三夫監督(当時)が、「プロでやりたいのなら、どこも一緒だ」と説得してくれました。本人が納得するのに1カ月以上かかったと記憶しています。
――大学や社会人という選択肢はなかったんでしょうか?
三沢 それはなかったと思います。本人は最初からプロ1本と決めていた。彼が1軍に上がったのが入団4年目の1991年。それ以降、先発とリリーフで430試合に登板するなど、よく頑張ってくれました。彼は高校時代からスピードはそれほどではなかったけど、スピンのきいたいいボールを投げていた。しかも手首の使い方がうまいから変化球が切れる。今の日本ハムなら、さしずめ北山亘基のようなタイプでしょうか。
――この年、日本ハムはドラフト外でも甲子園の星を獲得しました。常総学院の島田さんです。
三沢 彼はピッチングだけでなくバッティングもよかった。ドラフトの枠から漏れたとはいえ、どちらかで伸ばそうと考えていました。プロ5年目に横浜大洋ホエールズにトレードになりましたが、そちらで花が開いた。98年の横浜の38年ぶりのリーグ優勝、日本一にリリーフとして貢献しましたから……。
――芝草さんと島田さん、2人の甲子園組を“SSコンビ”と名付けたのは誰ですか?
三沢 あれは球団だったかメディアだったか、はっきり覚えてないですね。まあ2人とも甲子園で名前を売っているから人気がありましたよ。驚いたのは多摩川グラウンドでの1年目の自主トレ。普段なら20人か30人しかいないのに、2000から3000人はいましたよ。しかも、ほとんどが女子中高生。当時のウチは人気球団ではなかったので、これにはびっくりしました。
結局、芝草は14年、島田は15年現役を続けました。長く活躍してくれたのは、獲った側としては本当にうれしいいことです。
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