パナソニック ワイルドナイツはトップリーグ4度、日本選手権5度の優勝を誇る強豪チームです。だが前身の東京三洋電機、三洋電機時代は全国社会人大会において善戦はするものの頂点に立つことができず、「シルバーコレクター」と呼ばれていました。
三洋電機として初めてトップリーグを制したのは2010年度のシーズンです。監督はチームのOBで現役時代に苦杯をなめ続けてきた飯島均さんでした。
忘れられない試合があります。1991年1月8日、東京・秩父宮ラグビー場で行なわれた全国社会人大会決勝です。3連覇を目指す神戸製鋼に悲願の初優勝を目指す三洋電機が挑戦するという構図でした。
少々、長い引用になりますが、私が23年前に書いたレポートからハイライトシーンを引用します。
<電光計はロスタイムに入って42分を指していた。ラスト・ワンプレー。4点のビハインドを負う神戸製鋼は、No.8大西一平がサイドアタックを仕掛けた。ラックが形成され、そこから出たボールをSH萩本光威が拾い上げ、右にいたSO藪木宏之に素早いパスを送った。藪木は中央突破を試みようとして三洋電機のCTB日向野武久につかまったが、倒される寸前に右オープンに展開した。パスは、右にいたCTB藤崎泰士を越えてハーフバウンドとなり、隣のCTB平尾誠二の手にすっぽりとおさまった。
続けざま平尾は鋭いステップでノホムリ・タウモエホラウをかわすと、FL飯島均からのタックルを受ける直前、これ以上ないというタイミングでタッチライン沿いに走り込んできたウィリアムスにパスを送った。このパスを顔のあたりでキャッチしたウィリアムスは、バックスタンド前を、まさに風のように疾走した。ハーフウェイラインの手前からだから距離にして約50メートル。ウィリアムスは追いすがる三洋電機WTBワテソニ・ナモアを振り切ると、ゴールほぼ真下に宝物でも供えるようにグラウンディングした。このトライで16対16の同点。グラウンドに膝をついたまま両手を高々とあげるウィリアムスに、FL杉本慎二と藪木が大声を発しながら駆け寄り、喜びのあまりに押し倒してしまった。倒れながらもウィリアムスはこぶしを宙に突き上げた。
興奮醒めやらぬうちに神戸製鋼のキッカー細川隆弘が逆転のコンバートを落ち着いて決め、激闘にピリオドが打たれた>(「スポーツ名勝負物語」講談社現代新書)
現役引退後、飯島さんは指導者の道を歩み、96年度に三洋電機の監督に就任しました。企業スポーツであるラグビーは親会社の理解がなければ続けられません。11年4月に三洋電機はパナソニックの完全子会社となることが決定しており、10年度は赤いジャージーで戦う最後のシーズンでした。
以下は飯島さんの回想です。
「会社からは“今年優勝しなかったらラグビー部は終わり”と言われていました。チームを出て行った選手もいました。だが不思議なことに勝負や仕事においてこれだけ苦しくなると、逆に雑念がなくなってくる。 勝負に対し、純粋になれたんです」
リーグ戦2位の三洋電機はプレーオフ決勝に進みました。それまで3年連続で決勝に進出しながら、いずれも涙をのんでいました。対戦相手は95年度の全国社会人大会で優勝を分け合ったサントリーサンゴリアスです。
最後のミーティングで、ロック/フランカーの堺田純さんが手をあげました。リザーブに入れなかった堺田さんは、飯島さんによれば「普段は無口な男」ですが、この時だけは違っていました。
「オレは決勝の日にジャージーを着るため1年間、どんな努力も惜しまずにやってきた。それでもメンバーには選ばれなかった。悔しくて悔しくて仕方がない。だが、それ以上にオレは絶対に勝ちたいんだ。試合までの時間でオレができることがあれば何でもやる。だから出るメンバー、必ず勝ってくれ!」
堺田さんの熱弁は仲間を鼓舞するに十分でした。この瞬間、飯島さんは「これで勝てる」と確信したそうです。
「メンバーから落とされたら、普通は“なんでオレが”“アイツよりオレを選べ”というふうになる。でも普段、口数の多くない堺田がありったけの思いをみんなに伝えた。あの時、これまで決勝で負け続けていたチームの何かがかわったんです」
サントリーを26対23で破った三洋電機は創部51年目にして初めて単独でのリーグ制覇を果たしました。07年度から09年度にかけて日本選手権3連覇を達成していた三洋電機でしたが、リーグ戦単独優勝の喜びは格別だったようです。
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