第15代日本ラグビー協会会長に就任した土田雅人さんは、取材を通じて、もう30年以上のお付き合いですが、サントリー(現・東京サントリーサンゴリアス)監督時代に「指揮官として一番大切なことは?」と聞くと「解決力」という言葉が返ってきました。これはストンと胸に落ちました。
なぜ小学生が小学校の先生を尊敬し、慕うのか。それは解けない問題を解いてくれるからです。同じことは選手と監督、協会員と会長の関係についても言えます。「世界ナンバーワンの協会になる」と語る土田会長の「解決力」に注目と期待が集まります。
――まだまだ続くコロナ禍、会議一つ開くのも大変では?
土田: 今はオンラインでもミーティングできますからね。ただコロナの問題でここ何年か直接会えなかったこともあるので、リーグワンや日本協会の部門長たちとはオフラインでも話し合う機会を設けるようにしています。
――会長就任にあたって三つの方針を立てられました。そのうちの一つ、「代表強化」は一丁目一番地だ、と。W杯フランス大会が1年後に迫っています。強化の進捗状況をどう見ていますか?
土田: 先日、駐日フランス大使館で行われたイベントでジェイミー(・ジョセフHC)と話をしました。彼は「選手層を厚くしないといけない」と夏のテストマッチシリーズでも、若手選手を多く起用しました。スタンドオフの李承信をテストマッチで起用したり、ウイングの根塚洸雅は初キャップ後も合宿に招集しています。そうしたことからも、選手層の厚みを実感しています。加えて、フランス代表と年に3戦できるようになったことにも手応えを感じています。
――7月に国内で2試合行い、11月にはフランスでの試合が予定されています。
土田: 11月の試合はW杯開催会場でできる。これはすごく貴重な経験になるでしょう。秋のシリーズはニュージーランド代表と国立で戦い、アウェーでイングランド代表とも戦います。これだけ強豪と対戦できるのは、2015年W杯イングランド大会前のジャパンでは考えられなかったこと。それまでは1年に1回、ティア1と対戦できればいいくらいだった。その点はジェイミーも満足しているようです。来月にはオーストラリアA(オーストラリア代表に次ぐシニア代表)とも3試合やります。協会に実力と財力がついたからこそのカードだと思います。
――選手たちの反応は?
土田: リーチ マイケルは「自分が出られるかどうか、という危機感を持ってやっている」と語っていた。それだけ選手層が厚くなっているのだな、と。加えて外国出身者も含め、「ジャパンのジャージーを着て勝ちたい」という選手が増えてきた。日本代表の重みがかなりついてきた証だと思います。
――15年W杯イングランド大会のエディー・ジョーンズHC、19年日本大会で指揮を執ったジェイミーHCはいずれも土田会長が理事の際に、同じく理事だった平尾(誠二)さんと進めた人事ですよね?
土田: そうですね。11年ニュージーランド大会、当時はサントリーのGMとして現地に行きました。1次リーグでニュージーランド代表と対戦した時、相手が1軍でジャパンはBチームで戦った。私は“W杯でそんなことをしていいのか?”と悩みました。ただ、当時はジャパンに対する協力体制が十分ではなかったことを考えると、同情の余地もないではない。19年のW杯日本開催が決まったことで、各チームのジャパンに対する理解が大きく変わったと思います。そして12年にサントリーの監督だったエディーがジャパンの指揮を執り、そこから日本のラグビー界も大きく変わっていきました。特にこの10年でジャパンを取り巻く環境はガラリと変わりましたね。
――イングランド大会後のエディーさんの辞任は想定外?
土田: 意外でした。私はジャパンのHCを続けてくれるものとばかり思っていた。ところが、大会前の夏に「(大会後)オレは辞める」という話になった。そこからが本当に大変でしたね。
――大会後には、イングランド代表のHCに就くと?
土田: いや、そうではなく当初はスーパーラグビー・ストーマーズ(南アフリカ)の監督に就任するという話でした。W杯ではジャパンの活躍もあってエディーの評価が上がった。一方、開催国のイングランドは予選リーグ敗退という憂き目に遭った。そこで急遽、エディーに白羽の矢が立ったのだと思われます。
――エディーさんの後任をジェイミーさんにしたのは?
土田: まず日本のラグビーを知らないといけない。いくら外国で実績があっても、いきなり日本に来たのでは通じない。それは私も平尾も同じ意見で、日本人のことをよく理解した指導者が必要だろうと。日本でプレー、または指導した経験のあることを基準にしました。ジェイミーに不安要素があるとしたら、代表の指揮経験がなかったこと。ただ、その点はトニー・ブラウン(現アシスタントコーチ)で補えるだろうと。彼は日本でプレーした経験があることに加え、非常にクレバーな人間。実際に2人の組み合わせが非常に良かったと思っています。
――政権交代がうまくいったわけですね。
土田: エディーの指導、ラグビースタイルに慣れていた選手たちからすれば、ニュージーランド式のアンストラクチャーをつくるためにキックを多用するやり方に対しては不満もあったと思います。結果もなかなか出なかったですから。18年6月に行われたイタリア代表とのテストマッチ2試合。空気的には“ここで負けたら、分かっているよね?”というところまできていた。ジェイミーもそれを重々理解していたようでした。
――協会の意思を明確にしたわけですね。
土田: そこまではっきりとは言いませんでしたが、「まさか2戦目だけにフォーカスして、そこにいい選手を使って勝とうと思っていないよな?」というようなことは話しました。ジェイミーからは「この1戦目が大事だ。オレは勝ちに行く」と言ったから、「絶対勝て」と発破をかけた。イタリアに勝って、そこから勝ち始めて、トゥイッケナムスタジアムでイングランド代表に善戦した。そこでチームがひとつになったという印象があります。
――来年のW杯フランス大会まで、あと1年を切りました。ジェイミーHCの手腕に期待が集まります。
土田: 彼は日本人を追い込める指導者。合宿に参加した日本トップの選手たちは口々に「キツイ」と語っていました。こうしたトレーニングが本番で身を結ぶのではないか。まずは秋のテストマッチの勝敗、内容が問われますね。
(後編につづく)
<土田雅人(つちだ・まさと)プロフィール>
1962年10月21日、秋田県出身。現役時代のポジションは主にナンバーエイト。秋田工業高を経て同志社大に進む。同学年の平尾誠二とともに大学選手権3連覇に貢献した。85年、サントリーに入社。主将を任されるなど、10年プレー。引退後は監督に就任し、95年度の日本選手権を制し、チームを初の日本一に導いた。97年から99年まで日本代表のFWコーチ。2000年にサントリーの監督に復帰すると、就任2年目で公式戦全制覇。3年目は日本選手権連覇を達成した。15年6月より日本ラグビー協会理事に就任。今年6月、日本ラグビー協会会長に就いた。著書に『勝てる組織』(小学館)、『「勝てる組織」をつくる意識革命の方法』(東洋経済新報社)がある。
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