「名門復活」とは、いい響きです。全国大学ラグビー選手権の第1回大会優勝校である法政大が早稲田大を破り、3回目の日本一になったのは、今から28年前、1993年1月のことです。
「夏合宿の試合でも負けていましたし、全然期待されていなかった。でもリーグ戦が始まってから1戦1戦、力をつけていったんです」
振り返って、そう語るのは、のちに日本代表となり2度のW杯に出場した伊藤剛臣さんです。
当時は3年生。このシーズン、ロックやフランカーからナンバーエイトにコンバートされました。
伊藤さんの言葉通り、法大は試合を重ねるごとに成長していきました。強敵の大東文化大、関東学院大を破り、7戦全勝で8年ぶり10度目の関東大学リーグ戦優勝を果たしました。大学選手権出場をかけた交流試合では関東大学対抗戦4位の筑波大に30対5で快勝しました。
12年ぶりに出場した大学選手権でも法大の勢いは止まりません。就任2年目の武村秀夫監督の下、徹底した走り込みによって養なわれたスタミナが快進撃を支えました。伊藤さんは当時をこう振り返ります。
「とにかく練習量が半端じゃなかった。合宿では毎日10キロくらい走り、それ以外の練習もありますから、いつもヘトヘト。時には45キロマラソンを課されることもありました」
法大はスタミナをベースに走り負けないランニングラグビーで初戦(1回戦)、大阪体育大に36対8で勝つと、準決勝では大学選手権3連覇がかかる明治大を42対18で撃破しました。
明大戦では1年生ロック藤原和也さんの活躍が光りました。192センチの長身を生かし、ラインアウトに貢献。チームも優勝候補相手に計6トライをあげ、21年ぶりの決勝にコマを進めました。
1月6日、東京・国立競技場。決勝の相手は、既に日本代表キャップを持つフルバック増保輝則さんらを擁する対抗戦2位の早大。両校が大学日本一を争うのは、21年ぶり6度目でした。
前半は20対9とリード。法大は2トライを奪うなど試合を優位に進めました。スタンドオフ中瀬真広さんの正確なキックも光りました。
しかし後半、風上に立った早大がキックで陣地を稼ぎ、流れは一変します。開始早々にペナルティーゴール(PG)で8点差に迫ると、7分には増保さんのトライなどで1点差に詰め寄りました。
両校がPGを1本ずつ決めて迎えた後半34分。早大はボールをワイドに展開し、アタックを仕掛けます。最後は増保さんが左サイドを切り裂くように1人、2人、3人とかわし、この日、2本目のトライをあげ、ついに27対23と試合をひっくり返しました。
法大からすれば、1年前の悪夢が甦ります。91年12月、大学選手権出場をかけ、両校は交流試合で激突しました。法大がロスタイムに入るまで12対9とリードしながら、増保さんにトライを許し、逆転負けを喫したのです。
早大ウイング徳丸真吾さんがコンバージョンキックをセットする間、インゴール内で法大フィフティーンが集まります。「去年の借り返すぞ」と、気合いを入れ直しました。
中瀬さんが右サイドに蹴ったキックオフのボールを伊藤さんがダイレクトキャッチ。「あれでみんなに火が付いた」と伊藤さん。敵陣に深々と入り、インゴールまで約5メートルの位置でラインアウトのチャンスを得ました。
後半38分、ラインアウトでこぼれたボールを拾ったのは身長192センチの藤原さんでした。ゴールに向かって前進し、タックルに遭いながらも最後は長い手を伸ばし、インゴールに叩きつけました。28対27と再逆転した法大はコンバージョンキックで2点を追加し、3点差に。
この時点で時計は後半40分を回ろうとしていました。法大は持ち前のハードワークで早大の猛攻をしのぎ、30対27でノーサイド。見事、早大にリベンジを果たし、25年ぶりの日本一を成し遂げました。
伊藤さんは28年前の出来事を懐かしそうに振り返ります。
「あの年は1戦1戦、1人1人が成長していった。その結果、最後の逆転トライに繋がったんだと思っています」
データが取得できませんでした
以下よりダウンロードください。
ご視聴いただくには、「J:COMパーソナルID」または「J:COM ID」にてJ:COMオンデマンドアプリにログインしていただく必要がございます。
※よりかんたんに登録・ご利用いただける「J:COMパーソナルID」でのログインをおすすめしております。