パナソニック ワイルドナイツの前身である三洋電機で7年間プレーしたウイングのワテソニ・ナモアさんを取材するため、群馬県大泉町にあった三洋電機の寮に足を運んだのは、今から24年も前のことです。部屋の壁には自らの写真ではなく、神戸製鋼の俊足ウイング、イアン・ウィリアムスさんが疾走する写真が貼ってありました。
「落ち込んだ時、悔しい時、この写真を見て発奮するんです」
自らに言い聞かせるように話すナモアさんの悔しそうな横顔を、私は未だに忘れることができません。
1991年1月8日、東京・秩父宮ラグビー場。第43回全国社会人大会決勝。3連覇を目指す神戸製鋼は左に、悲願の初優勝を狙う三洋電機は右にエンドをとりました。
12対9と三洋電機リードで迎えた後半24分、ナンバーエイトのシナリ・ラトゥ選手がサイドアタック。神戸製鋼のディフェンスを引き連れ、ノーマークになったウイング新野巧選手にパス、そのままインゴールの芝に飛び込みました。
これで得点は16対9(当時トライは4点)。三洋電機は初優勝に王手をかけました。メインスタンドでは宮地克実監督が「ヨッシャ!」と大声を発し、勝利を確信した関係者から次々に握手を受けていました。
しかし、神戸製鋼にも王者の意地があります。後半29分、フルバック細川隆弘選手が左中間26メートルのペナルティーゴールを決め、12対16、ワントライ、ワンゴールで逆転できる点差に詰め、猛然と反撃を開始しました。押し寄せる津波のようなオープン攻撃。それを必死の形相でくい止める三洋電機フィフティーン。後半38分には、鋭いステップで中に切り込んできたスタンドオフ薮木宏之選手を、同じスタンドオフの大草良広選手がふっ飛ばし、40分には、ファウルを取られはしましたが、センターのノフォムリ・タウモエフォラウ選手がまるで相撲のぶちかましのようなハードタックルで、ウィリアムスさんを枯れ芝に叩きつけました。
インジュアリータイムに入り、電光掲示は42分を指していました。
ナモアさんは「いつもよりインジュアリータイムが長いな。早く終わってくれ」と考えていたそうです。
ラストワンプレー。神戸製鋼のナンバーエイト大西一平選手がサイドアタックを仕掛けました。そこから出たボールをスクラムハーフ萩本光威選手が拾い上げ、右にいた薮木選手に素早いパスを送りました。
薮木選手は中央突破を試みようとしてつかまり、倒される寸前に右オープンにパスを出しました。そのパスはセンター藤崎泰士選手を越えてハーフバウンドとなり、隣のセンター平尾誠二選手の手にすっぽりとおさまりました。
平尾選手は鋭いステップでノフォムリ選手をかわすと、タッチライン沿いに走り込んできたウィリアムスさんにラストパスを送りました。
このパスは、平尾選手の右にいた細川選手に詰めていた三洋電機のナモアさんの頭上を無情にも越えていきました。
一瞬、バランスを失ったナモアさんはウィリアムスさんの独走を阻止することができず、ゴールほぼ真下へのトライを許してしまいました。
ウィリアムスさんの独走は、距離にして約50メートル。ナモアさんが伸ばした右手はわずかにウィリアムスさんのジャージーの奥襟を触りましたが、引きずり倒すことはできませんでした。
ナモアさんは言います。
「襟に触ったんです。もうちょっとだったのに……」
このトライで16対16の同点。直後、キッカー細川選手が逆転のコンバージョンキックを落ち着いて決め、激闘にピリオドが打たれました。ファイナル・スコアは16対18。
ウィリアムスさんを中心とする神戸製鋼の歓喜の輪の傍らでトライを阻止できなかったナモアさんはがっくりと首をうなだれ、茫然自失の表情を浮かべていました。
バックスタンドから見上げる凍てついたグレーの空は、鉛のカーテンのように重々しいものだったでしょう。
「僕ずっと神様のことを信じていたんだけど、きっと信じ方が足りなかったんでしょうね」
トンガ出身のナモアさんは敬虔なクリスチャン(メソジスト派)です。今でも日曜日の礼拝は欠かしません。
「もう1回、あの場面がやってきたら? 今度はうまくいくように神様に祈ってみます」
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