相馬朋和監督は現役時代、主にプロップとして活躍しました。代表キャップ数は24。2007年W杯フランス大会にも出場しています。トップリーグ、代表と高いレベルでプレーすることで得た知見を、チームにどう落とし込んでいったのでしょう。
――相馬監督は帝京大学での“岩出学校”の第1期生です。最初の出会いは、高校日本代表の時だったそうですね。
相馬朋和: 私は高校時代、走れない選手でした。高校3年時の秋、日本代表候補合宿に参加した時も“1次までで終わりかな”と思っていました。それが2次合宿にも呼んでいただきました。走るメニューでタイムが上がった。そのことを岩出(雅之)先生は褒めてくださった。「続けて努力しなさい」と。そのおかげで最後まで高校日本代表に残ることができたと思っています。
――印象深いエピソードは?
相馬: 合宿中、私は先生の荷物を運ぶ機会が多くありました。当初は少し怖いイメージを抱いていたのですが、優しい方でした。家族の話をしたり、飲み物を振る舞ってくれたり……。そんなことがなかったら、怖くて逃げ出していたかもしれません。
――帝京には、その岩出さんから誘われたのでしょうか。
相馬: いえ、岩出先生が監督になることは知りませんでした。今年1月に亡くなった増村(昭策)先生から誘いを受けました。実は同級生の齊藤祐也が進学する明治大学から「来たいんだったら齊藤君と一緒に来てもいいよ」と誘われました。しかし帝京が早稲田大学に勝った試合を観て、「強いものを倒すってカッコ良いな」と。紅いジャージーもカッコ良かったので帝京を選びました。
――高校は文系の選抜クラスで、読書家とお聞きしました。
相馬: 高校3年時、ラグビーで大学に行こうと決めました。それで選抜クラスの先生に「勉強を引退します」と言いました。「授業の邪魔はしませんし、寝たりもしません。テストの点数もきちんと取ります。だから授業中は好きなことさせてください」と、本を読むことを希望したんです。普通なら「何言っているんだ」と怒ってもいいところを「好きにしていいよ」と認めていただいた。最初は村上春樹さんの作品を読んでいたのですが、古文の先生から司馬遼太郎さんの作品を薦められた。特に『竜馬がゆく』が好きで何度も読み直しました。
――大学卒業後は三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入社。28歳で代表初キャップを記録、2007年のW杯フランス大会に出場しました。
相馬: W杯は本当に特別な舞台でした。31対35で敗れた2戦目のフィジー戦の翌日、街を散歩していたら、フランス人から声を掛けられました。フランス語がわからないので、正確には分かりません。雰囲気からして「昨日、試合出ていたよな?」「いい試合だったぞ」という感じで、拍手までしてくれた。すると近くにいた人たちが集まってきて、まるで凱旋パレードのようになった。あれは忘れられません。
――ヘッドコーチ(HC)はジョン・カーワンさんでしたね。
相馬: カーワンからは面談で「選ばれたいと思うだけのヤツは、もう来なくていい」と言われていました。その言葉に“何くそ”となった。カーワンといえばW杯大会期間中にこんなことがありました。ある日のミーティングで、彼はスタッツシートをグシャグシャに丸めて捨てたんです。「オマエのプレーにこれ(スタッツ)は意味がない」「スタッツに表せないものがたくさんある」と口にし、タックルや走っている映像を見せてくれた。「オマエはこうやって貢献している。だから試合に出ているんだ」とも言ってくれました。
――ワイルドナイツでの思い出は?
相馬: 入団したばかりの山田章仁(現・九州電力キューデンヴォルテクス)を、よく怒鳴り飛ばしていました。すぐタッチに出されるし、タックルもしない。後になって「昔、アンタのこと大嫌いだった」と言われました。彼にとっては煙たい存在だったと思います。「でも、そのおかげでプレーヤーとして成長できたから今は感謝しています」とも言ってくれた。いつしか彼はトライすると、必ず私の元にやってきて、感謝を伝えてくれました。ある試合で、章仁はラックに入らずクリーンアウト(味方がボールを出すのを邪魔する選手を剥がすこと)しなかった。彼が言うには僕の足音が聞こえたからだと。実際、僕がクリーンアウトして、彼にボールが渡ってトライになった。その時に「やっぱり来ていると思った。今のは、相馬さんのトライね」と言われたこともあります。これは嬉しかった。
――外から見ていると帝京は大人の集団。妥協のないコミュニケーションが取れているのではないでしょうか。
相馬: グラウンドの中でも外でも、必要なことはきちんと議論する。もちろん昔の私のようなきつい言い方はしないでしょうが、いいコミュニケーションが取れていると思います。
――帝京は2019年W杯日本大会のジャパンに7人のOBを送り込みました。卒業後に伸びる選手が多いという印象があります。
相馬: そうですね。岩出先生も「今が一番良いという人生では寂しいだろ」と常々学生たちに話していました。私が帝京の監督に就く前、リーグワンのチーム関係者から「帝京の子たちはいいよ。人間としてきちんとできるし。体が鍛えてあり、基礎もしっかりしているから、あまり時間と手間がかからない」と、よく褒めていただきました。学生時代にじっくり時間をかけて育ててきた成果だと思っています。
(おわり)
<相馬朋和(そうま・ともかず)プロフィール>
1977年6月5日、神奈川県出身。現役時代のポジションはプロップ。東京高校でラグビーを始め、3年時に高校日本代表に選ばれた。帝京大学を経て、埼玉パナソニックワイルドナイツの前身・三洋電機に入社。2005年11月のスペイン代表戦でジャパンの初キャップを獲得。07年W杯フランス大会に出場するなど通算24キャップ。パナソニックのスクラムコーチ、ヘッドコーチを経て、21年秋に帝京大のFWコーチに就任。22年春、監督に就き1季目でチームを大学日本一に導いた。
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