11日、ラグビー日本代表選手が東京・丸の内で行ったパレードは、平日の昼間だったにもかかわらず、約5万人のファンでにぎわいました。笑顔の花が咲く中、ひとり号泣していた田中史朗選手に注目が集まりました。
インタビュー中も田中選手は涙でした。
「2011年の僕たちが不甲斐なくて日本ラグビーを落としてしまった思いしかなかった……。こんなにたくさんの人が集まってくれて本当にうれしいです。たくさんの子供たちが応援してくれて、“ありがとう”と言ってくれた。(僕たちこそ)本当に“ありがとう”の一言しかないです。これからが日本ラグビーの始まりです。1月12日からトップリーグが始まります。日本ラグビーの応援をよろしくお願いします」
田中選手も出場した11年W杯ニュージーランド大会、ジョン・カーワンヘッドコーチ(HC)率いるジャパンは2勝を目標に掲げていました。しかし、結果は3敗1分け。1勝もあげることができなかったことを、田中選手は「不甲斐ない」と感じたのでしょう。
パレードの涙に対し、ツイッターでは、後輩たちとこんなやり取りも。
<フミ、もう泣くなよ>
<はい、分かりました。流さん。>
流さんとは、8学年下の流大選手のことです。同じスクラムハーフとして凌ぎを削ってきました。後輩から「フミ」と呼ばれるところに、田中選手の人柄が表れています。以下は流選手が披露したW杯日本大会準々決勝後の出来事です。
「フミさんが泣くのは見慣れているので、皆さんほど衝撃も少ないです。“また泣いているな”と。会見の後、またチームでランチをする時も号泣していましたし、ずっと泣いていました。ジェイミー(・ジョセフHC)とリーチ(マイケル)さんから最後に言葉があって、ちょっと涙するような展開でした。すると“ウワァァ”とフミさんの泣き声が聞こえてきました。もう台無しですよ(笑)」
リスペクトゆえの呼び捨てなのでしょう。流選手は続けます。
「僕はいろいろなことをフミさんから学びました。大会期間中も(茂野)海人さんも含めて(スクラムハーフ)3人で練習しました。1週間に1回、9番(スクラムハーフ)3人でご飯を食べに行くこともあった。そこでもいろいろな話をしてきました。大会では僕が5試合先発で出ましたが、まだフミさんを超えたとは全く思っていない」
田中選手はドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった“泣き虫先生”こと山口良治・伏見工業高校(現・京都工学院)総監督の教え子です。熱い血潮を受け継いだのかもしれません。
その一方で、田中選手は自他ともに認める一言居士でもあります。黙って理不尽な出来事を見逃すことができません。
15年イングランド大会では、ボスであるエディー・ジョーンズHCとも衝突しました。本人の述懐。
「第4戦のアメリカ戦の前です。ある外国人選手が練習で反則を繰り返すので僕が怒ったんです。すると、そいつが言い返してきてケンカになった。そこへ入ってきたのがエディー。こいつは反則を犯すことで自分にプレッシャーをかけていると。それが僕には“こいつだけは反則をしてもいいんだ”みたいに聞こえた。僕もカッとなって“そりゃ、おかしいやろ”って。以来、エディーはずっと機嫌が悪かった(笑)」
あれから4年の歳月がたち、田中選手の置かれた立場、求められる役割も変わってきました。
「15年はコーチ陣と選手との間に入り、お互いの思いを伝えるチームの潤滑油のような存在でした。だが今はチームにいろいろなリーダーがいます。リーチはプレーでも言葉でもチームを引っ張ってくれる。今の僕は何か気付いたことや、間違ったことがあれば意見するアドバイザー的な役回りといっていいでしょう」
4年前、一言居士は協会にも噛み付きました。トップリーグ開幕戦は、パナソニック ワイルドナイツ対サントリーサンゴリアスという好カード。「前売り完売」のはずが、東京・秩父ラグビー場のスタンドには空席が目立ちました。「ラグビーが負けた日です」。ラグビーを愛するゆえの苦言でした。
トップリーグの新シーズンは来年1月12日に開幕します。21年秋に開幕予定のプロリーグに弾みを付けるためにも、4年前の悪夢を繰り返してはいけません。田中選手が所属するキヤノンイーグルスの開幕戦は神戸総合運動公園ユニバー記念競技場での神戸製鋼コベルコスティーラーズ戦です。満員のスタンドを見上げた瞬間の田中選手の反応が楽しみです。
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