昨年、パンデミックにより、各カテゴリーの大会が中止に追い込まれる中、高校生に救いの手を差しのべた元ラガーマンがいました。元日本代表の野澤武史氏です。彼が発起人となってスタートした『♯ラグビーを止めるな2020』はコロナ禍でアピール機会を失った選手たちがSNSにプレー動画を投稿するプロジェクトです。5月にスタートすると、ラグビー界だけにとどまらず他のスポーツにもその輪は広がっていきました。野澤氏は7月に「一般社団法人スポーツを止めるな」を設立、代表理事に就任ました。
――『♯ラグビーを止めるな2020』を始めたきっかけは?
野澤武史:昨年の春、コロナ禍で数多くの大会が中止を余儀なくされました。その中で各チームのリクルーターから「試合がなくなってしまって困っている」という相談を受けました。進路支援で私に何かできることはないか。まずはこのことを慶應の中学校から大学まで一緒にラグビーをやってきた同期の最上(紘太・スポーツを止めるな共同代表理事)に相談しました。彼は『♯バスケを止めるな2020』の発起人となった方からも同じような話を受けていたそうなんです。それで5月にラグビーとバスケを同時にスタートさせました。
――現在、「スポーツを止めるな」で展開している『HANDS UP』は登録した選手、チームのみが閲覧できるプラットフォームになっていますが、『♯ラグビーを止めるな2020』はTwitterなどオープンなSNSでの実施でした。
野澤:『♯ラグビーを止めるな2020』も最初は専用サイトを立ち上げ、現在の『HANDS UP』のようなクローズドな場所をつくろうと考えていました。しかし、この時は何よりもスピードが重要でした。大学の推薦枠は5月の終わりには出揃ってしまう。サイトの開発に時間をかけている余裕はなく、さらにシステムを理解して使いこなしていただくには時間がかかる。そこで既存のシステムの方が多くの方が参加してもらえるんじゃないかと考えました。
――実際に大学進学、トップリーグ入りにつながった例もあると伺いました。
野澤:誰も投稿してくれなかったら恥ずかしいなと思っていたんですよ。正直に言えば、誰かに頼まれて始めたわけではありませんし、日本ラグビーフットボール協会としての仕事でもない。私が勝手に言い出したことで、“いらぬおせっかい”と言われてしまえばそれまでです。“ひとつでも動画が上がればいい”“1人でも救われる子がいいな”という気持ちでスタートしました。桐生第一高校の監督を務める元日本代表の霜村(誠一)くんからは「動画を上げた後、すぐリクルーターから電話がきた」と連絡がありました。本当にやって良かったなと感じました。
――リクルーター側からの反応は?
野澤:5月にスタートする前に、学校の先生約150人、チームのリクルーター50人以上の方にご協力のお願いをしました。スタート後、リクルーターの方に電話で感想を聞くと「やっぱりいいね」「こんな選手がいたのか。全然知らなかったよ」との意見を数多くいただきました。
――自身のアピール動画をつくることによって、選手たちはセルフプロデュース力が向上し、自分の長所を知ることにもつながったと思います。
野澤:そうですね。そこに教育的な価値があったかなと思います。実社会では自分がどういう人間で、どういう強みがあるのかを理解しながら、発揮していかなければなりません。そういったことを先取りできる試みになったと自負しています。「“リクルーターの人に見てもらうにはどうすべきだろう”“自分はどういうプレーヤーか”を考えること自体に、すごく価値があった」という声を学校の先生からもいただきました。
――『♯ラグビーを止めるな2020』プロジェクトは、そこから他の競技にも伝播していきました。
野澤:これは完全に予想外でした。さきほど言ったように動画が上がるかどうか心配していたくらいですから。プロ野球・埼玉西武ライオンズの松坂大輔さんが「ラグビーは『♯ラグビーを止めるな2020』をやっているけど、野球界はやらないのか」と言及したことで、そこから広がり、『スポーツを止めるな』ムーブメントへの流れが加速したと感じます。
――それにより7月の一般社団法人設立につながったわけですね。
野澤:最初はコロナ禍からの救済というのがゴールでした。しかし、いろいろな活動を通じて、各競技の方々と話しているうちに、よりよい学生スポーツ支援のかたちにしていきたいという思いが強くなっていきました。部活動を通じて、判断、決断、実行ができる“人財”を育て、社会に送り出していきたい。学生スポーツをもっといい環境にするためには、継続的な支援が必要だと感じました。始まりはSNSを通じたソーシャルムーブメントでしたが、それだけに終わらないものにしたいと一般社団法人を立ち上げることにしたんです。
――“人材”ではなく、“人財”というところがミソですね。
野澤:私も会社を経営しておりますが、上司の指示を受け、100点満点で応えてくれる人はたくさんいます。だが自分で課題を発見し、解決していく力を持つ人は少ない。主体性を持ち、最後の一歩を踏み出す行動力が必要です。今後の日本における人材育成の課題だと考えています。
――「スポーツを止めるな」では3つのコア活動を行っています。そのうちのひとつ、<選手が安全にプレーをアピールできるシステム>が今年1月にオープンした『HANDS UP』です。これについてお聞かせください。
野澤:システムを開発するにはお金がかかりますし、まずは資金調達からスタートしました。例えばラグビーは新人戦や全国高校選抜大会が始まる前には、エントリーできるようにしたかったので1月下旬のスタートとなりました。
――競技によってはSNSを禁止されています。それが原因でクローズドなサイトに?
野澤:それもひとつの理由ですが、学生と企業をつなぐ就活支援サイトをベースにつくっています。『♯ラグビーを止めるな2020』は選手側がリクルーター側に向けて発信するものでしたが、今回は受け入れる側のチーム情報を細かく載せるようにしました。私は地方の学校のアドバイザーも務めていますが、地方の子どもは得られる進路情報が少ない。例えば、部活動で志望大学に進むためには、どういう枠があるのか。先輩が進学した大学、部活動の先生が伝手のある大学の情報しか得られない。子どもたちが進路を判断する材料を増やしてあげたかったんです。もうひとつは関わる競技が増えていくことで、競技横断も可能な点です。
――具体的には?
野澤:例えばボブスレーの指導者が『HANDS UP』に参加した際、競技経験のない選手をスカウトすることができます。アップされたプレー動画や身体能力データを見て、指導者が学生に可能性を感じればボブスレーに転向するという選択肢も生まれる。JSC(日本スポーツ振興センター)やスポーツ庁などが行っているタレント発掘の『J-STAR プロジェクト』のオンライン版のようなものになれば面白いと思っています。
――またトップ選手などが思い出の試合に実況・解説をつけてプレゼントする『青春の宝プロジェクト』、トップアスリートによる『教育プログラム』も実施されていると伺いました。
野澤:『青春の宝プロジェクト』はこれまでラグビー、バスケットボールなどの競技で、上映会を開きました。解説を担当した選手がオンライン上映会に参加してもらうこともあります。これまでに上映したのは約10校。『青春の宝プロジェクト』は2023年までに47都道府県で実施したいと考えています。山口県の宇部高校は春で3年生が引退する。今年度の3年生は新チームで公式戦を経験しないまま引退した。上映会では前の年の公式戦映像に実況・解説をつけてプレゼントしました。それがすべての理由ではないと思うのですが、その3年生たちは秋の大会に全員が復帰したんです。彼らの心を動かすようなことができたのかとうれしかったですね。
――『教育プログラム』とは?
野澤:現代を生き抜く力を身につけさせるためのプログラムです。学生たちに「リーダーシップ」「メディアリテラシー」など学校では教えられないが、社会に出た時に生きる力を学べる機会をつくりたいと始めました。例えば共同代表理事を務める元日本代表の廣瀬(俊朗)には、「リーダーシップ教育」をお願いしました。部活単位ではなく、学校の全部活のキャプテン、副キャプテン、部長、副部長に参加してもらい、リーダーシップを学んでもらいました。今後はいろいろなプログラムを練りながら、進めていきたいと考えています。2023年までには500校で実施したい。
――今後に向けての抱負を。
野澤:現在はコロナ禍で、全部が完璧に揃えてからスタートするのでは、なかなか前に進まない。できるところからできるだけやろう、と。いろいろな意見をいただきながら、“ゼロよりイチの方がいいね”というマインドを大事にしています。目の前のできることにフォーカスしながら、課題をクリアしていきたいと考えています。
<野澤武史(のざわ・たけし)プロフィール>
1979年4月24日、東京都出身。小学5年からラグビーを始める。ポジションはフランカー。慶應義塾高校では主将として全国高等学校ラグビー大会ベスト8進出に貢献した。慶應義塾大学では2年時に大学日本一を経験。4年時には主将に就任した。慶大卒業後の02年、神戸製鋼コベルコスティーラーズ所属に入団し、8シーズンプレーした。日本代表キャップは4。現役引退後、家業の株式会社山川出版社代表取締役副社長を務めながら、母校・慶大のヘッドコーチなどを歴任した。現在は山川出版代表取締役社長。公益財団法人日本ラグビーフットボール協会では若年層の発掘・育成を担当している。2020年7月、「一般社団法人ラグビーを止めるな」を設立し、代表理事を務める。
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