
昨シーズン、リーグワン4位に終わった埼玉パナソニックワイルドナイツは、今年12月に開幕する25-26シーズンを新体制で迎えます。14-15シーズンから監督を務めたロビー・ディーンズ氏がエグゼクティブアドバイザーに就き、バックスコーチの金沢篤氏がヘッドコーチに昇格しました。前身のトップリーグ時代を含め4度のリーグ優勝をチームにもらたした名将の功績を、飯島均シニアゼネラルマネジャーが語ります。
――8月1日にワイルドナイツの新体制が発表され、11シーズンにわたって指揮を執ったロビー・ディーンズさんの監督が決まりました。
飯島均: 退任については、ご本人の意向もあります。私たちとしては、ロビーさんに永遠の命があったら、ずっと指揮を執っていただきたい気持ちがあった。ただチームの体制をどう変え、つないでいくかは、あらゆる組織において、一番大きなテーマ。ロビーさんが辞めた後のチームをどうするかについて、私たちは準備を進めてきました。
――ワイルドナイツは、リーグワン初年度を制して以降、準優勝、準優勝、4位と順位を下げています。優勝から遠ざかっていることも指揮官交代の理由のひとつでしょうか?
飯島: 確かにプレーオフだけを見れば、ここ3シーズンは優勝できず、今年は3位決定戦で負けてしまった。それでもレギュラーシーズン(21-22=14勝2敗2位、22-23=15勝1敗1位、23-24=16勝0敗1位、24-25=14勝2分け2敗2位)を含めれば、非常に安定した成績を残していますから、成績不振が理由ではありません。
――ロビーさんへの評価は変わらない、と。
飯島: そうですね。もちろんチームが結果を残すことは大切ですが、それ以上にロビーさんは選手、スタッフたちを人間的に成長させてくれた。ロビーさんの評価は、今も全く変わっておりません。
――だからこそ、完全にチームを去るというかたちではなく、エグゼクティブアドバイザーとして残ってもらったわけですね。
飯島: その通りです。ロビーさんはこれまでラグビーに多くの時間を割いてきた分、お孫さんなど、ご家族と費やす時間が増えるとは思いますが、引き続き、グラウンドやクラブハウスに来ていただけることになっています。
――以前、飯島さんはロビーさんの「変化することのみが、唯一の不変である」という言葉を紹介されていました。
飯島: 組織としては変化をしていかないと、常にトップを狙うチームで居続けられない。その意味で私は10年という区切りは、非常に良いタイミングだと思っています。
――ロビーさんとは長い付き合いですね。
飯島: この間、ロビーさんとも話しました。「もう20年だな」「時の流れは早いな」と。私が「じゃあ、あと20年ぐらい大丈夫ですね」と言ったら、ロビーさんは笑っていましたね。ロビーさんが監督に就任したのが2014年。オーストラリア代表(ワラビーズ)のヘッドコーチを退任された後でした。ロビーさんはワラビーズの指揮を執る前にクルセイダーズ(ニュージーランド)をス―パー12(現スーパーラグビー・パシフィック)で5度の優勝に導き、強豪チームに育て上げました。それほど実績のある世界のトップ・オブ・トップの指導者が日本のチームの指揮を執ることは、ロビーさんが走りだと思います。その意味でロビーさんには近年の日本ラグビーを大きく変えてくれた最大の功労者であると、私は考えています。
――20年前にどのような接点が?
飯島: 当時、ワイルドナイツは成績不振により監督が交代し、事務局長だった私は会社(当時・三洋電機)から「オマエが宮本(勝文)新監督のサポートをしろ」と指示され、コーチに就任しました。私たちが中期的な目標として考えていたのが、クルセイダーズのヘッドコーチを務めていたロビーさんに指導してもらうことでした。ワイルドナイツとしてもニュージーランドのカンタベリーとの連携し、クルセイダーズから学ぼうとしていました。クルセイダーズもニュージーランドの首都圏ではなく、ワイルドナイツ同様に田舎まちのチーム。風土が似ていたチームが、どのようにして強豪に成長していったかを知りたかったんです。
――カンタベリーと連携することで、ロビーさんとの関係ができたわけですね。
飯島: はい。それで、あるシーズン、ワイルドナイツがオーストラリアのゴールドコーストで合宿を張った時、ロビーさんに1週間来ていただいた。当時、私はラグビーを突き詰めれば突き詰めるほど、霧の中に入ってくような感覚があったのですが、ロビーさんと話をしたら、霧が晴れたみたいな感覚になりました。
――どんなアドバイスを受けたのでしょうか。
飯島: クルセイダーズではどういうことやっているか。まずは戦術的な話。それまで私たちのラグビーはどちらかというと、ボールの再獲得はフォワードの仕事で、バックスがスペースを突いていくというものでした。でも、それは合理的じゃない。フォワードが長い距離を走ってクタクタになっている。ボールを再獲得することはフォワードだけの仕事にせず、ケースバイケースでバックスが担当するという決まり事に変えました。
――この20年の付き合いでロビーさんの言葉で印象に残っているものは?
飯島: たくさんあります。ひとつは「トゥー・パーフェクト」(完璧過ぎる)。それまで私は負ける理由をできるだけ排除し、勝つ確率を上げるための施策を講じてきた。でもロビーさんは「完璧すぎなくていいんだ」という意味で、その言葉をくれた。これは物事をやる上において最も大切なこと。何かに臨む時は、完璧じゃなくていい、若干の不安があるくらいがちょうどいい。これは何度も優勝を経験してきたロビーさんならではの感覚なんだと思いました。
――こうした“ロビー語録”に触れことで、飯島さんの人生観も変わりましたか?
飯島: そうかもしれませんね。他にも「良い回答は、良い質問から始まる」「結果は準備で決まる」という言葉は、私が指導者やリーダーとして大切にしていることです。
――最後にこれからのロビーさんに期待することは?
飯島: 新シーズンはロビーさんの下で、コーチや選手だった金沢(篤)さんがヘッドコーチに、堀江(翔太)さんがアシスタントコーチに就きます。大学では帝京大学の相馬朋和、東洋大学の福永昇三が監督を任されています。また高校では京都工学院で内田啓介がコーチ、桐生第一で霜村誠一が指導にあたっています。他チームでもロビーさんの教え子である田邉淳(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)と水間良武(東芝ブレイブルーパス東京)がコーチを務めています。シャケが海で成長し、川に帰ってくるように、ロビーさんが育てた人たちが、またワイルドナイツに優れたリーダーとして戻ってくる未来を見てみたいものです。
<飯島均(いいじま・ひとし)プロフィール>
1964年9月1日、東京都出身。現役時代のポジションは主にフランカー。府中西高を経て大東文化大に進む。大学4年の時、大学選手権優勝を経験。三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入社。95年度の全国社会人大会初制覇を最後に現役を引退した。96年度から99年度まで三洋電機の監督を歴任。その後、2001年から03年までラグビー日本代表のコーチを務め、05年度からは三洋電機に復帰した。08年度より再び監督に就任し、日本選手権の連覇を3に伸ばし、10年度には悲願のトップリーグ初優勝に導いた。ラグビー部長、ゼネラルマネジャーを経て、現在はシニアゼネラルマネジャーを務める。
<ロビー・ディーンズ プロフィール>
1959年9月4日、ニュージーランド出身。現役時代のポジションは主にフルバック。ニュージーランド代表5キャップ。指導者としては2000年、スーパー12(現スーパーラグビー・パシフィック)のクルセイダーズのヘッドコーチに就任し、チームを9年間で5度のリーグ優勝に導いた。ニュージーランド代表アシスタントコーチ(01~03年)、オーストラリア代表ヘッドコーチ(08~13年)を歴任。14-15シーズンから24-25シーズンまで11季にわたり、埼玉パナソニックワイルドナイツの監督を務め、4度のリーグ優勝を達成した。25-26シーズンからワイルドナイツのエクゼクティブアドバイザーに就任した。
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